オットー・ネーベル展 シャガール、カンディンスキー、クレーの時代:20171008 [展覧会]
音楽なら、Mozart 、Brahms 、Tchaikovsky、Mahler 、Rachmaninov etc etc…、等の作曲家が好きで、
絵だと、Vermeer、Rouault、 Monet、佐伯祐三 etc etc …が好きです。
今年は気に入りの画家の展覧会がないことと、
バタバタとしていてゆっくり絵画を見る気持からも遠ざかっていたせい? 展覧会にはほとんど行っていません。
でも、秋になって、
展覧会に行かないのは寂しいと、ネットで面白そうなものをいくつかピックアップして、前売り券を何枚か買っておきました。
土曜日、その一枚をもって渋谷、Buunkamura ミュージアムまで出かけました。
渋谷の街並みも秋、ハロウィン仕様。
色々なお化けたちがあちらこちらに。
朝になったけれど、まだ人はそれほどいない街。夜に取り残されたお化けたちがまだまだそこにも。
今年は、映画にコンサートにと何回か訪れた Bunkamura ですが、この日はザ・ミュージアム。
10時開館でしたが、15分くらい前に行って並んで入りました。前から6番目くらい。
列もそれほど長くなかったです。
始って2日目の、オットー・ネーベル展は混雑もなく、静かに、ザ・ミュージアムで鑑賞することができました。
静かな Bunkamura ザ・ミュージアム。
特別展でこんなにゆっくりと絵を見て回れるのはうれしいです。
ぼくも初めてですが、オットー・ネーベルって、ほとんどみんな知らない画家なんだと思います。
初めまして、オットー・ネーベル。
そんな感じで、画家の足跡、描いていった時をたどっていきました。
この絵は、シャガールの香りがぷんぷんします。笑
でも、シャガールの色彩に似ているけれど、その色の使い方とパッチワークの様に画面全体に色彩を当てはめている所は、オットー・ネーベル独特かと。
きっと生まれ故郷、または暮らしたことのある村なのでしょう。懐かしさとか安らぎとか、少し鼻の奥がツンとするような、そんな感じが見ていてしました。
<山村 1925年 ベルン美術館>
この絵もふと立ち止まってしばらく見つめていた絵です。
ドイツに住んでいたオットー・ネーベルでしたが、ナチスの台頭とともにドイツにはいられなくなって、スイスのベルンに避難したのだそうです。
黄色い矢印はネーベルの強い意志を表しているかのようです。
ネーベルの絵画の特徴でしょうか? この絵でも細かい線が見えると思いますが、単に絵具等を平面として筆で塗るのではなくて、
キャンバス等に顔を近づけて見てみると、細かい筋、点描画の一種なのかもしれませんが、細かいうろこの様な筋で描かれていて、それが絵画たちに動きを、見る自分たちには感情を沸き立たせるのだと思います。
決して二次元の絵画だけでなく、オブジェとして作品が存在している様に思えました。
<避難民 1935年 オットー・ネーベル財団>
全体としてパステルカラーの様な色彩。
優しい色彩もネーベルの特徴でしょうか。慈愛に満ちて街の家々の屋根を優しく照らす満月の光・・・。
優しく美しい夜の風景。
ふと、この街に訪れているかのような錯覚に陥りました。
<聖母の月とともに 1931年 ベルン美術館>
グラデーション、色彩の使い方、これも特徴でしょうか。
エヴァカラー? 笑
<建築的な青 1933年 ベルン美術館>
多彩な才能を持っていたネーベルは、聖堂の内側の絵画をたくさん残しています。
最初は建築家としての勉強をしていたとのこと。聖堂の内側の描写はもちろんですが、ネーベルの絵はそう言えばきちんと構成されていて、安定感がとてもあるのだと思います。
絵画には見ていて不安を感じるものもあるけれど、ネーベルの作品からは、ナチスに追われ、生活が困窮していた時期の絵を見ても、あまり不安等の負の感情は持ちません。
きちんとした安定した構成と、寒色を使っていても温かみを感じる色彩がそうさせているのでしょうか。
<煉瓦の大聖堂 1934年 オットー・ネーベル財団>
今回の展覧会の目玉でもあるのだと思いますが、
オットー・ネーベルのイタリアのカラーアトラス、色彩地図帳の展示もありました。
点描の描き方と同じように、几帳面さが良く分かる丁寧に描かれたスケッチブックには、イタリアの各都市ごと等、ネーベルが感覚で感じ取ったその都市の特別な色たちが、
多く感じ取ったものは面積を多く、その他の色は小さくまとめられています。
<イタリアのカラーアトラス(色彩地図帳) 1931年 オットー・ネーベル財団>
見たもの、感じたものを、自らの理論で体系付けまとめ上げたものということができるのでしょうが、
こうなると内面的必然性によって感情の迸りを絵画というパフォーマンスとして誕生させるだけではないのだと思います。
ネーベルは画家であり、詩人でもあったといいます(建築家でもあり俳優でもあったとか)。
色彩として感じたものを文字でないけれど、ある種のシンボル的なものに置き換えて記録する。多彩な才能を持ったものにしかできないことなのかと。
<イタリアのカラーアトラス イタリアの色彩。ナポリ11月の空。地中海の青。1931年 オットー・ネーベル財団>
奥さんであるヒルデが結婚する前にバウハウスで働いていたこと。
また、ネーベルは雑誌「シュトゥルム」に文章と挿絵とで参加していたこと。
それらの関係で、シャガールやカンディンスキー、それに知り合ってから長い間、家族ぐるみ、
その死まで暖かい親交のあったパウル・クレーの影響があるようです。
<シエナⅢ 1932年 オットー・ネーベル財団>
ここに載せた一番初めの絵はシャガールの影響だとすぐに分かるし、
以降の絵は、一番仲の良かったクレーの影がちらほらしています。
その後はカンディンスキーの著作にも影響を受けていたようで、徐々に抽象画、
ネーデルは「非対象的」と呼んでいたようですが、カンディンスキーらの抽象画に影響を受けていると思います。
<灰色の廃墟 1934年 ミサワホーム株式会社>
時代により作風も様々に変わっていくネーベル。
今回の展覧会でも色んなバリエーションを見せてもらえますが、ぼくはこの絵が一番気に入りました。
「夜明けの海」いいな。
夜のとばりがあける黎明の刹那。
原始の色彩は生まれ、闇は砕け空だけではなく海面までも金色に燃え立たせる。
浮かぶ船たちのシルエットは朝の時を刻むリズム。
情緒的なところと色彩までも共に日本的でもあるかなと。
上の絵、「灰色の廃墟」なんて平山さんのシルクロードの作品みたいです。
オットー・ネーベル、その落ち着いた色彩や情緒的で優しい感じ、日本人が好きな画家ではないでしょうか。
<夜明けの海 1961年 オットー・ネーベル財団>
非対象絵画、
年を経てくると、今までの具象ではなく、形、シンボル、文字等が画面に描かれていく様になります。
カンディンスキー等の影響です。
それでも、安定した構成、綺麗な色彩は変わりません。ちゃんと初めからのネーベルがそこにいると思いました。
<ロンドレット(三つの三日月型) 1936年 オットー・ネーベル財団>
この絵は中国の易経の本をプレゼントされて、それに触発されて画いたとか。
確かに中国っぽい龍が真ん中にいますね。
それに、右上には赤い顔の京劇の仮面みたいのも。 笑
ネーベルの思い描いた中国なのでしょう。ちゃんと龍には5本指があります。
<喜び 1939年 オットー・ネーベル財団>
この後は、ルーン文字を題材にしたものを画くようになっていったようです。
古のルーン文字。神秘的な文字。
深い森の中、
こずえの上に明るい満月。
古代ゲルマンの神秘的な感じとともに、奥深く森の懐に抱かれたかのような安心感と幸福感を感じます。
満月はその光の一つ一つ、暗い森の奥にまでまんべんなく、安らぎと静けさを届けてくれるかのようです。
<満月のもとのルーン文字 1954年 オットー・ネーベル財団>
もちろん、影響を与えた画家たち、
シャガール、カンディンスキー、クレーたちの作品もたくさん展示されていました。
印象派より後の画家たちはまだまだ馴染めなくて、良くは分からないけれど、
この展覧会を見てもっとクレーとかカンディンスキー、もちろんシャガールも、もっと見てみたいと思いました。
<シルヴィオ パウル・クレー 1928年 イセ文化基金>
オットー・ネーベル(1892-1973)。じぶんも生まれていた時代にまだ健在だった画家です。
自然を色彩を詳細に見つめ、
それを自身の内面で分析し、理論建てキャンバスに構成して作品を生み出して言った画家。
詩人であり、エッセイストであり、建築に造詣が深く、俳優でもあったオットー・ネーベル。
知らなかったけれど、素晴らしい画家に会うことができました。
何より、満月たち、ネーベルの作品の満月たちに会えて良かったなと。
以前の様に、
展覧会が来たら、何でも全部見に行くだけのパワーも、時間も無くなったかもしれませんが、
新しいもの、 例えば、
大塚国際美術館で出会った、リング、ラウリッツ・アンデルセン とかetc etc…、
そして、今回のオットー・ネーベルも、
新しい出会いは大切にしたいなと思いました。
外に出てみれば、ハロウィンのお化けたちも流石にかすんでいて、
人がいっぱいになっていました。おまけに、衆議院選挙の演説会でマスコミや演説を聴く人達でいっぱい。
小泉進次郎さんも !!
ネーベルの世界から、現実の浮世の世界に戻ってしまった。 ^^;
気が付くと、急にお腹が空いていました。
じぶんの中では、今、
スパゲッティ・ナポリタンがブームです。
先日、大宮に行きましたが、
大宮はナポリタンが有名だとのこと。テレビで紹介された店もあるようで、そこでナポリタンを頂きました。
普通盛なのにとても量が多くてびっくりしましたが、味はとても美味しかった。
それから、スパゲッティナポリタン、結構病みつきです。 ^^;
この日は、渋谷のパンチョさんで頂きました。
そんなには食べられないので、小盛りの300g を頂きましたが、これでもお腹はいっぱい。
大宮の他でも、地元横浜もナポリタンが有名だとのこと。
ナポリタンの美味しいところをしばらく、回ってみたいと思っています。
オットー・ネーベル展の前売り券は、ネーベルのクロッキーブック付き前売り券でした。
なかなか良い出来のクロッキーブック。
色々、書いていきたいと思います。
揃えた前売り券はまだあるので、
スタートした芸術の秋をこれから、もっと楽しみたいと思っています。
" 2017/10/08 OTTO NEBEL Bunkamura "
絵だと、Vermeer、Rouault、 Monet、佐伯祐三 etc etc …が好きです。
今年は気に入りの画家の展覧会がないことと、
バタバタとしていてゆっくり絵画を見る気持からも遠ざかっていたせい? 展覧会にはほとんど行っていません。
でも、秋になって、
展覧会に行かないのは寂しいと、ネットで面白そうなものをいくつかピックアップして、前売り券を何枚か買っておきました。
土曜日、その一枚をもって渋谷、Buunkamura ミュージアムまで出かけました。
渋谷の街並みも秋、ハロウィン仕様。
色々なお化けたちがあちらこちらに。
朝になったけれど、まだ人はそれほどいない街。夜に取り残されたお化けたちがまだまだそこにも。
今年は、映画にコンサートにと何回か訪れた Bunkamura ですが、この日はザ・ミュージアム。
10時開館でしたが、15分くらい前に行って並んで入りました。前から6番目くらい。
列もそれほど長くなかったです。
始って2日目の、オットー・ネーベル展は混雑もなく、静かに、ザ・ミュージアムで鑑賞することができました。
静かな Bunkamura ザ・ミュージアム。
特別展でこんなにゆっくりと絵を見て回れるのはうれしいです。
ぼくも初めてですが、オットー・ネーベルって、ほとんどみんな知らない画家なんだと思います。
初めまして、オットー・ネーベル。
そんな感じで、画家の足跡、描いていった時をたどっていきました。
この絵は、シャガールの香りがぷんぷんします。笑
でも、シャガールの色彩に似ているけれど、その色の使い方とパッチワークの様に画面全体に色彩を当てはめている所は、オットー・ネーベル独特かと。
きっと生まれ故郷、または暮らしたことのある村なのでしょう。懐かしさとか安らぎとか、少し鼻の奥がツンとするような、そんな感じが見ていてしました。
<山村 1925年 ベルン美術館>
この絵もふと立ち止まってしばらく見つめていた絵です。
ドイツに住んでいたオットー・ネーベルでしたが、ナチスの台頭とともにドイツにはいられなくなって、スイスのベルンに避難したのだそうです。
黄色い矢印はネーベルの強い意志を表しているかのようです。
ネーベルの絵画の特徴でしょうか? この絵でも細かい線が見えると思いますが、単に絵具等を平面として筆で塗るのではなくて、
キャンバス等に顔を近づけて見てみると、細かい筋、点描画の一種なのかもしれませんが、細かいうろこの様な筋で描かれていて、それが絵画たちに動きを、見る自分たちには感情を沸き立たせるのだと思います。
決して二次元の絵画だけでなく、オブジェとして作品が存在している様に思えました。
<避難民 1935年 オットー・ネーベル財団>
全体としてパステルカラーの様な色彩。
優しい色彩もネーベルの特徴でしょうか。慈愛に満ちて街の家々の屋根を優しく照らす満月の光・・・。
優しく美しい夜の風景。
ふと、この街に訪れているかのような錯覚に陥りました。
<聖母の月とともに 1931年 ベルン美術館>
グラデーション、色彩の使い方、これも特徴でしょうか。
エヴァカラー? 笑
<建築的な青 1933年 ベルン美術館>
多彩な才能を持っていたネーベルは、聖堂の内側の絵画をたくさん残しています。
最初は建築家としての勉強をしていたとのこと。聖堂の内側の描写はもちろんですが、ネーベルの絵はそう言えばきちんと構成されていて、安定感がとてもあるのだと思います。
絵画には見ていて不安を感じるものもあるけれど、ネーベルの作品からは、ナチスに追われ、生活が困窮していた時期の絵を見ても、あまり不安等の負の感情は持ちません。
きちんとした安定した構成と、寒色を使っていても温かみを感じる色彩がそうさせているのでしょうか。
<煉瓦の大聖堂 1934年 オットー・ネーベル財団>
今回の展覧会の目玉でもあるのだと思いますが、
オットー・ネーベルのイタリアのカラーアトラス、色彩地図帳の展示もありました。
点描の描き方と同じように、几帳面さが良く分かる丁寧に描かれたスケッチブックには、イタリアの各都市ごと等、ネーベルが感覚で感じ取ったその都市の特別な色たちが、
多く感じ取ったものは面積を多く、その他の色は小さくまとめられています。
<イタリアのカラーアトラス(色彩地図帳) 1931年 オットー・ネーベル財団>
見たもの、感じたものを、自らの理論で体系付けまとめ上げたものということができるのでしょうが、
こうなると内面的必然性によって感情の迸りを絵画というパフォーマンスとして誕生させるだけではないのだと思います。
ネーベルは画家であり、詩人でもあったといいます(建築家でもあり俳優でもあったとか)。
色彩として感じたものを文字でないけれど、ある種のシンボル的なものに置き換えて記録する。多彩な才能を持ったものにしかできないことなのかと。
<イタリアのカラーアトラス イタリアの色彩。ナポリ11月の空。地中海の青。1931年 オットー・ネーベル財団>
奥さんであるヒルデが結婚する前にバウハウスで働いていたこと。
また、ネーベルは雑誌「シュトゥルム」に文章と挿絵とで参加していたこと。
それらの関係で、シャガールやカンディンスキー、それに知り合ってから長い間、家族ぐるみ、
その死まで暖かい親交のあったパウル・クレーの影響があるようです。
<シエナⅢ 1932年 オットー・ネーベル財団>
ここに載せた一番初めの絵はシャガールの影響だとすぐに分かるし、
以降の絵は、一番仲の良かったクレーの影がちらほらしています。
その後はカンディンスキーの著作にも影響を受けていたようで、徐々に抽象画、
ネーデルは「非対象的」と呼んでいたようですが、カンディンスキーらの抽象画に影響を受けていると思います。
<灰色の廃墟 1934年 ミサワホーム株式会社>
時代により作風も様々に変わっていくネーベル。
今回の展覧会でも色んなバリエーションを見せてもらえますが、ぼくはこの絵が一番気に入りました。
「夜明けの海」いいな。
夜のとばりがあける黎明の刹那。
原始の色彩は生まれ、闇は砕け空だけではなく海面までも金色に燃え立たせる。
浮かぶ船たちのシルエットは朝の時を刻むリズム。
情緒的なところと色彩までも共に日本的でもあるかなと。
上の絵、「灰色の廃墟」なんて平山さんのシルクロードの作品みたいです。
オットー・ネーベル、その落ち着いた色彩や情緒的で優しい感じ、日本人が好きな画家ではないでしょうか。
<夜明けの海 1961年 オットー・ネーベル財団>
非対象絵画、
年を経てくると、今までの具象ではなく、形、シンボル、文字等が画面に描かれていく様になります。
カンディンスキー等の影響です。
それでも、安定した構成、綺麗な色彩は変わりません。ちゃんと初めからのネーベルがそこにいると思いました。
<ロンドレット(三つの三日月型) 1936年 オットー・ネーベル財団>
この絵は中国の易経の本をプレゼントされて、それに触発されて画いたとか。
確かに中国っぽい龍が真ん中にいますね。
それに、右上には赤い顔の京劇の仮面みたいのも。 笑
ネーベルの思い描いた中国なのでしょう。ちゃんと龍には5本指があります。
<喜び 1939年 オットー・ネーベル財団>
この後は、ルーン文字を題材にしたものを画くようになっていったようです。
古のルーン文字。神秘的な文字。
深い森の中、
こずえの上に明るい満月。
古代ゲルマンの神秘的な感じとともに、奥深く森の懐に抱かれたかのような安心感と幸福感を感じます。
満月はその光の一つ一つ、暗い森の奥にまでまんべんなく、安らぎと静けさを届けてくれるかのようです。
<満月のもとのルーン文字 1954年 オットー・ネーベル財団>
もちろん、影響を与えた画家たち、
シャガール、カンディンスキー、クレーたちの作品もたくさん展示されていました。
印象派より後の画家たちはまだまだ馴染めなくて、良くは分からないけれど、
この展覧会を見てもっとクレーとかカンディンスキー、もちろんシャガールも、もっと見てみたいと思いました。
<シルヴィオ パウル・クレー 1928年 イセ文化基金>
オットー・ネーベル(1892-1973)。じぶんも生まれていた時代にまだ健在だった画家です。
自然を色彩を詳細に見つめ、
それを自身の内面で分析し、理論建てキャンバスに構成して作品を生み出して言った画家。
詩人であり、エッセイストであり、建築に造詣が深く、俳優でもあったオットー・ネーベル。
知らなかったけれど、素晴らしい画家に会うことができました。
何より、満月たち、ネーベルの作品の満月たちに会えて良かったなと。
以前の様に、
展覧会が来たら、何でも全部見に行くだけのパワーも、時間も無くなったかもしれませんが、
新しいもの、 例えば、
大塚国際美術館で出会った、リング、ラウリッツ・アンデルセン とかetc etc…、
そして、今回のオットー・ネーベルも、
新しい出会いは大切にしたいなと思いました。
外に出てみれば、ハロウィンのお化けたちも流石にかすんでいて、
人がいっぱいになっていました。おまけに、衆議院選挙の演説会でマスコミや演説を聴く人達でいっぱい。
小泉進次郎さんも !!
ネーベルの世界から、現実の浮世の世界に戻ってしまった。 ^^;
気が付くと、急にお腹が空いていました。
じぶんの中では、今、
スパゲッティ・ナポリタンがブームです。
先日、大宮に行きましたが、
大宮はナポリタンが有名だとのこと。テレビで紹介された店もあるようで、そこでナポリタンを頂きました。
普通盛なのにとても量が多くてびっくりしましたが、味はとても美味しかった。
それから、スパゲッティナポリタン、結構病みつきです。 ^^;
この日は、渋谷のパンチョさんで頂きました。
そんなには食べられないので、小盛りの300g を頂きましたが、これでもお腹はいっぱい。
大宮の他でも、地元横浜もナポリタンが有名だとのこと。
ナポリタンの美味しいところをしばらく、回ってみたいと思っています。
オットー・ネーベル展の前売り券は、ネーベルのクロッキーブック付き前売り券でした。
なかなか良い出来のクロッキーブック。
色々、書いていきたいと思います。
揃えた前売り券はまだあるので、
スタートした芸術の秋をこれから、もっと楽しみたいと思っています。
" 2017/10/08 OTTO NEBEL Bunkamura "
新国立美術館2017年ミュシャ展:20170319 [展覧会]
あとで気が付けば、3月の3連休の中日でした・・・orz
まして、いつもなら開館に間に合うように家を出るのですが、この日は出かける娘に時間を合わせたので、美術館に着いたのは11時過ぎでした。
乃木坂の駅を地上へと出てみれば、チケットを買う方たちの列は2つ3つ折りくらいになっていました。
草間彌生さんの展覧会もやっているんだ !!
幸い、チケットは前もって買っておいたのでこの列には並ばずに済んだのだけれど、
新国立美術館「ミュシャ展」の会場に入るには10分くらい並びました。
こんなに、混雑している展覧会は久しぶりです。
3連休、外して来ればよかったと気が付いた時には、すでに遅しでした ^^;
ミュシャは30年くらい前に初めてまとまった展覧会で見て以来、
ビアズリーやクリムト、クノップフ等と同じくファム・ファタール的な女性の系譜、
日本のイラストやアニメっぽいところにも惹かれて気になる画家でした。
特に今回は、
ミュシャの代表作ともいえる「スラヴ叙事詩」20作がすべて来ることを知り、これは見ねばなるまい!!
予告を見てからすぐに前売り券を買っておきました。
門外不出までではありませんが、全20作がすべて国外に出るのは初めてとのこと。
本当はチェコで、スラヴ叙事詩たちの「家」で、いつも展示されているところで見るのが一番なのでしょうが、
諸般の事情により? すぐには無理なので、今回の展覧会はとても貴重な機会だと思ったのです。
それにしても会場内も大変な混雑で、異様な雰囲気。
普通の展覧会ならば、
順路に従って絵の前を一列に並んで見ていくのでしょうけれど、
今回のミュシャ展では、大きいものでは 8m×6m という大きさですから、そばによってだとその作品全体を見ることができません。
自然、見る人たちは距離をとって部屋の真ん中の方へと集まります。
そうそう、遺跡や神殿などを見て回るような、そんな雰囲気です。
混雑していたし、大きな20枚のスラヴ叙事詩が鑑賞の対象だし、もうここできっぱりと細かく見るのはやめにしました。
大きなスラヴ叙事詩の飾られているこの空間の雰囲気を楽しむこと、
それに一枚目のスラヴ叙事詩の第1作目「原故郷のスラヴ民族」を見てとても気になったことがあったので、
それを集中して見ることに決めました。
それぞれの作品にはたくさんの登場人物が描かれているのですが、よく見ると真っ直ぐに視線を合わせてくる登場人物たちがいます。
上は、第15作「イヴァンチツェ兄弟団学校」の左下に描かれている「老いた盲人」と「聖書を音読する少年」。
彼らの視線が気になってしかたありませんでした。
じっとぼくを見つめてくるその視線は強く強く思念を送ってくるように感じたのです。
じっと見つめてくる彼らと話をすることに。
第15作の少年は、帰って来てから調べてみると、若い頃のミュシャだとのこと。なるほど強い思念と視線を感じるはずです。
下は第19作「ロシアの農奴解放」。
「子供を連れた母親」はおびえる子供を白い布でくるみ、しっかりときつく抱き、どんなものからも守るように強い視線を真っ直ぐに送ってきます。
人としての尊厳や自由などの成立が遅れていたロシアにも農奴の開放が訪れたけれど社会は混乱。不安な生活から子供だけは絶対に守ろうとしている母親。
いつの時代にも子供を思う母親の強さは際立っていると思います。
うがった見方になるけれど、緑と赤の衣服の色としっかりと子供を抱く姿をじっと見ているとマリア様にも思えてきました。
第18作「スラヴ菩提樹の下でおこなわれるオムラジナ会の誓い」。
左下のハープを弾きながらこちらをじっと見つめてくる少女はミュシャの娘のヤロスラヴァ。
ここには写っていませんが、右下には息子のイジーも描かれています。
これらの作品は写真を撮っても良いとのことだったので、何枚か写してきました。ミュシャの作品を自由に写すことができるのはとてもうれしかった。
これは第1作の「原故郷のスラヴ民族」。直接カメラで写すことはできなかったけれど、とてもとても気に入ってしまった作品です。
ぼくの好きな色、ブルーで描かれたこの第1作にもこちらをじっと見つめる二人が描かれています。
第1作、スラヴ民族の黎明期。
外敵の侵入におびえるスラヴの祖先たち。
後の世もハプスブルグ家の、ヒットラーの等、常にゲルマン民族化の脅威におびえてきたスラヴの民・・・。
背景には侵入者達が、危機がそこまで迫って来ているけれど、空は満天の美しい星空。
ミュシャ、
ファム・ファタール的な女性だけではないのだと、
綺麗なイラスト的な女性と儚げな植物文様だけでなく、チェコという国家のこと、スラヴという民族のこと、
自由、独立と言うことを強く祈り、
音楽ではスメタナの「わが祖国」があるけれど、美術でもそれらを祈念する作品をとの強い思いで描いたこれら20の作品。
争いや血の流れることを嫌ったミュシャらしく、直接の争いなどを描かず、苦悩に満ちたそれでも未来を、明るい未来を祈り続けるミュシャの作品たち。
フランスでのミュシャではなくて、チェコの「ムハ」としての強い思念を、真っ直ぐに見据える視線をしっかりと受け止めてくることができました。
混雑していて、ゆっくりは見ることができなかったけれど、
それでも、素晴らしい・・・、
これも人類の素晴らしい宝だと思います。
ムハの「スラヴ叙事詩」全20作品に圧倒されました。
少し美術館に足が遠のいていましたが、絵画もいいです。今年初めての展覧会。
ものすごく混雑していて、素晴らしい作品達のことをもっと知りたいと、カタログが欲しくて、
購入するのに20分も並んでしまったほどでしたが、
素敵な素敵な記憶に残る展覧会でした。
ムハとヤロスラヴァたちの視線の余韻を感じつつ、
お彼岸なので母のところに、お墓へは遠いのでまたの機会になってしまうけれど、父にお線香をと思いこの後向かいました。
仏壇にお花とお線香を供え、手を合わせご挨拶。
母が作ってくれたぼた餅を頂きました。
これこれ、子供の頃からの母手作りのぼた餅の味は変わりません。
良い絵を見て、母のぼた餅を頂いてとっても良い一日でした。
母とはまたどこかに出かけようと約束。
疲れているだろうし、どこか温泉にでも連れて行きたいなと。
" 2017/03/19 Alfons Mucha "
まして、いつもなら開館に間に合うように家を出るのですが、この日は出かける娘に時間を合わせたので、美術館に着いたのは11時過ぎでした。
乃木坂の駅を地上へと出てみれば、チケットを買う方たちの列は2つ3つ折りくらいになっていました。
草間彌生さんの展覧会もやっているんだ !!
幸い、チケットは前もって買っておいたのでこの列には並ばずに済んだのだけれど、
新国立美術館「ミュシャ展」の会場に入るには10分くらい並びました。
こんなに、混雑している展覧会は久しぶりです。
3連休、外して来ればよかったと気が付いた時には、すでに遅しでした ^^;
ミュシャは30年くらい前に初めてまとまった展覧会で見て以来、
ビアズリーやクリムト、クノップフ等と同じくファム・ファタール的な女性の系譜、
日本のイラストやアニメっぽいところにも惹かれて気になる画家でした。
特に今回は、
ミュシャの代表作ともいえる「スラヴ叙事詩」20作がすべて来ることを知り、これは見ねばなるまい!!
予告を見てからすぐに前売り券を買っておきました。
門外不出までではありませんが、全20作がすべて国外に出るのは初めてとのこと。
本当はチェコで、スラヴ叙事詩たちの「家」で、いつも展示されているところで見るのが一番なのでしょうが、
諸般の事情により? すぐには無理なので、今回の展覧会はとても貴重な機会だと思ったのです。
それにしても会場内も大変な混雑で、異様な雰囲気。
普通の展覧会ならば、
順路に従って絵の前を一列に並んで見ていくのでしょうけれど、
今回のミュシャ展では、大きいものでは 8m×6m という大きさですから、そばによってだとその作品全体を見ることができません。
自然、見る人たちは距離をとって部屋の真ん中の方へと集まります。
そうそう、遺跡や神殿などを見て回るような、そんな雰囲気です。
混雑していたし、大きな20枚のスラヴ叙事詩が鑑賞の対象だし、もうここできっぱりと細かく見るのはやめにしました。
大きなスラヴ叙事詩の飾られているこの空間の雰囲気を楽しむこと、
それに一枚目のスラヴ叙事詩の第1作目「原故郷のスラヴ民族」を見てとても気になったことがあったので、
それを集中して見ることに決めました。
それぞれの作品にはたくさんの登場人物が描かれているのですが、よく見ると真っ直ぐに視線を合わせてくる登場人物たちがいます。
上は、第15作「イヴァンチツェ兄弟団学校」の左下に描かれている「老いた盲人」と「聖書を音読する少年」。
彼らの視線が気になってしかたありませんでした。
じっとぼくを見つめてくるその視線は強く強く思念を送ってくるように感じたのです。
じっと見つめてくる彼らと話をすることに。
第15作の少年は、帰って来てから調べてみると、若い頃のミュシャだとのこと。なるほど強い思念と視線を感じるはずです。
下は第19作「ロシアの農奴解放」。
「子供を連れた母親」はおびえる子供を白い布でくるみ、しっかりときつく抱き、どんなものからも守るように強い視線を真っ直ぐに送ってきます。
人としての尊厳や自由などの成立が遅れていたロシアにも農奴の開放が訪れたけれど社会は混乱。不安な生活から子供だけは絶対に守ろうとしている母親。
いつの時代にも子供を思う母親の強さは際立っていると思います。
うがった見方になるけれど、緑と赤の衣服の色としっかりと子供を抱く姿をじっと見ているとマリア様にも思えてきました。
第18作「スラヴ菩提樹の下でおこなわれるオムラジナ会の誓い」。
左下のハープを弾きながらこちらをじっと見つめてくる少女はミュシャの娘のヤロスラヴァ。
ここには写っていませんが、右下には息子のイジーも描かれています。
これらの作品は写真を撮っても良いとのことだったので、何枚か写してきました。ミュシャの作品を自由に写すことができるのはとてもうれしかった。
これは第1作の「原故郷のスラヴ民族」。直接カメラで写すことはできなかったけれど、とてもとても気に入ってしまった作品です。
ぼくの好きな色、ブルーで描かれたこの第1作にもこちらをじっと見つめる二人が描かれています。
第1作、スラヴ民族の黎明期。
外敵の侵入におびえるスラヴの祖先たち。
後の世もハプスブルグ家の、ヒットラーの等、常にゲルマン民族化の脅威におびえてきたスラヴの民・・・。
背景には侵入者達が、危機がそこまで迫って来ているけれど、空は満天の美しい星空。
ミュシャ、
ファム・ファタール的な女性だけではないのだと、
綺麗なイラスト的な女性と儚げな植物文様だけでなく、チェコという国家のこと、スラヴという民族のこと、
自由、独立と言うことを強く祈り、
音楽ではスメタナの「わが祖国」があるけれど、美術でもそれらを祈念する作品をとの強い思いで描いたこれら20の作品。
争いや血の流れることを嫌ったミュシャらしく、直接の争いなどを描かず、苦悩に満ちたそれでも未来を、明るい未来を祈り続けるミュシャの作品たち。
フランスでのミュシャではなくて、チェコの「ムハ」としての強い思念を、真っ直ぐに見据える視線をしっかりと受け止めてくることができました。
混雑していて、ゆっくりは見ることができなかったけれど、
それでも、素晴らしい・・・、
これも人類の素晴らしい宝だと思います。
ムハの「スラヴ叙事詩」全20作品に圧倒されました。
少し美術館に足が遠のいていましたが、絵画もいいです。今年初めての展覧会。
ものすごく混雑していて、素晴らしい作品達のことをもっと知りたいと、カタログが欲しくて、
購入するのに20分も並んでしまったほどでしたが、
素敵な素敵な記憶に残る展覧会でした。
ムハとヤロスラヴァたちの視線の余韻を感じつつ、
お彼岸なので母のところに、お墓へは遠いのでまたの機会になってしまうけれど、父にお線香をと思いこの後向かいました。
仏壇にお花とお線香を供え、手を合わせご挨拶。
母が作ってくれたぼた餅を頂きました。
これこれ、子供の頃からの母手作りのぼた餅の味は変わりません。
良い絵を見て、母のぼた餅を頂いてとっても良い一日でした。
母とはまたどこかに出かけようと約束。
疲れているだろうし、どこか温泉にでも連れて行きたいなと。
" 2017/03/19 Alfons Mucha "
デトロイト美術館展&原田マハ_デトロイト美術館の奇跡:20161218 [展覧会]
ジェシカ、
そしてフレッド、
あなたたちの気持ちが良く分かります。
上野の森の美術館の一枚の絵の前。
暖かな感情が・・・心のはしまで浸み込んできました。
色々な土地で色々な出会いがあります。
盛岡駅フェザンのさわや書店さん、新大阪駅のリブロさん、高松の宮脇書店さん、札幌ステラプレイスの三省堂書店さん etc etc ・・・。
電車や飛行機の待ち時間に過ごす一時に、気に入りの本屋さんでの出会いもそのうちの一つ。
札幌ステラプレイス三省堂書店さんでの「デトロイト美術館の奇跡」とも素敵な出会いでした。
フレッドはデトロイトの街の一軒の家に住む元機械工。
家は、これも同じ工場で働いていた父が、黒人では難しかったのでしょうが残してくれた唯一の財産。
この家で明るく献身的な妻ジェシカと、父の亡くなった後も仲良く暮らしていました。
でも、ある日ジェシカが不治の病に・・・。
保険制度のないアメリカではあまりに高額な治療費を払うことができません。家を売ってもと考えたフレッドでしたが、古い家では価値がないとの評価。
何をすることもできず、ただ最愛の大切なジェシカの命の灯が、少しずつ小さくなっていくのを見守るだけ。
もうこれが最後になるのか・・・、
デトロイト美術館を訪れてジェシカの好きな一枚の絵の前に行くと、
「ねえ、フレッドお願いがあるの。」
「あたしがいなくなっても・・・・彼女に会いに来てくれる?」
「彼女、あなたが来てくれるのを、きっと待っていてくれるはずだから。」
「あたしも、待っているわ。あなたのこと、見守っているわ。」
「彼女と一緒に、ここで。」 デトロイト美術館の奇跡 p29
この本を読んでからその絵を見てみたいと強く思っていました。
それから1ヶ月半くらい経ち、
ようやく12月18日の土曜日、ジェシカとフレッドの「彼女」に会うことができました。
上野の森の美術館のエントランスにはデトロイト美術館の壁画、原田マハの小説にも書かれていたディエゴ・リベラ「デトロイトの産業」もタペストリーの様に展示されていて、館内に入る前から心臓が高鳴ります。
彼女に会いに行ったのですが、やはりアメリカでも有数の名画の所蔵を誇る美術館です。
浮気ではないですが、惹かれる絵が何点かありました。
先ずは一番初めに展示してあったルノワールの 「白い服の道化師」。この絵、とても気にいってしまいました。
真珠の様に輝くようなピュアな白。全体から優しさが、かわいらしさが滲みでてきます。
部屋に飾っておくならこういう絵が良いな。
モデルはルノアールの息子、当時7歳のジャンなのだそうです。
早く彼女に会いたいのですが、しばらく釘付けになっていました。
《 Renoire The White Pierrot 1901-1902 》
それから、この展覧会のポスターにもなっているゴッホの自画像も。
ゴッホの自画像は何点かありますが、これも目力が感じられます。二つの目だけではなくて画面全体から。
絵筆だけでなく指で絵具を塗った跡があり、ゴッホがここにいると感じさせてくれる絵でした。
《 Gogh Seif Portrait 1887》
ナビ派のドニも気になる画家なのですが、
このポスターの絵画版は彼のものにしては変わっているのかな? ポスターだけにパステル調の色彩でなく、描き方はアール・ヌーヴォーの作品の様で記憶に残りました。
《 Maurice Denis La Depeche Toulause 1892》
印象派の画家たちと同じころに活躍したルドンは、目玉や怪物、奇怪な人物等、幻想的な作品をたくさん残しています。
そんな作品のイメージの中で、この「心に浮かぶ蝶」は、山種美術館で見た速水御舟の「炎舞」を思い起こし、なんとなく和的な感じもした一枚でした。
《 Redon Evocation of Butterflies 1910-1912》
そして、
そして、
ルノワール作「画家の夫人の肖像」にやっと・・・。
何回か同じ感覚を持ったことがあります。フェルメールのミルクを注ぐ女、モネの水連 etc etc …。
絵の周りが輝いている、この絵だけ明るく感じる。
ただ、じっとこの絵の前で佇んでいました。
セザンヌの絵でこんなに好きになったものは他にはありません。
「なんだろう、この感じ・・・
あるとき、ふと、この絵の中のマダム・セザンヌは、なんとなくジェシカに似ているんだと気が付いた。」
「彼女はフランス人で、白人で、ほっそりとしていて、不機嫌で、何もかも全部ジェシカとは違う。
それなのに、すべてが似ている、と・・・」
---彼女、お前に似ているね。 デトロイト美術館の奇跡 P26
《 Cezanne Madame Cezanne 1886》
不機嫌なのかな? それにフランス人というよりも東洋的な感じもして。
でも長い時をかけることでしか生まれてこない、ある種の親密さを感じて、
愛おしさや優しさも感じられて、
フレッドのジェシカへの思いも・・・。
美術館は久しぶりでした。
1月に「君が叫んだその場所こそがほんとの世界の真ん中なのだ」展
2月に「フェルメールとレンブラント 17世紀オランダ黄金時代の巨匠たち」展
7月に「メアリー・カサット」展を見て以来ですから、今年4つ目の展覧会はほぼ半年ぶり。
4つしか見なかったけれど、どれも心に残る良い展覧会だったな。
開館と同時に入ってゆっくり見たのでお腹が空きました。
一人だったので、上野の駅中の東京じゃんがらラーメンで、半熟卵入りラーメン。
テーブルにあった辛子高菜と紅ショウガをのっけて、「ずずずっ」と!! 熱々のところを頂きました。
ラーメンは久しぶりでとても美味しかった。
札幌で出会った原田マハの「デトロイト美術館の奇跡」で知った「Madame Cezanne 」。
今年見た中ではフェルメールと共にとても良い作品でした。
デトロイト美術館展は1月21日までです。
ぼくが行ったのは土曜日でできませんでしたが、月曜日と火曜日には写真の撮影も許可されています。
好きな作品を自分のカメラに収めてくることもできるのですね。
『来年はもう少したくさんの絵画たちとも出会えるようにしたいな』等と、改めて思わせてくれる素敵な展覧会でした。
さて、今年も残すところ10日を切ってしまいました。色々と片付けないといけないこともありますが、この3連休は楽しみたいと思います。
クリスマスも、明日はN響の第9も待ってます。皆さんも良いクリスマスを ♪ ^^v
" 2016/12/18 Detroito Institute of Art Exhibition & DIA A Portrait of Life "
そしてフレッド、
あなたたちの気持ちが良く分かります。
上野の森の美術館の一枚の絵の前。
暖かな感情が・・・心のはしまで浸み込んできました。
色々な土地で色々な出会いがあります。
盛岡駅フェザンのさわや書店さん、新大阪駅のリブロさん、高松の宮脇書店さん、札幌ステラプレイスの三省堂書店さん etc etc ・・・。
電車や飛行機の待ち時間に過ごす一時に、気に入りの本屋さんでの出会いもそのうちの一つ。
札幌ステラプレイス三省堂書店さんでの「デトロイト美術館の奇跡」とも素敵な出会いでした。
フレッドはデトロイトの街の一軒の家に住む元機械工。
家は、これも同じ工場で働いていた父が、黒人では難しかったのでしょうが残してくれた唯一の財産。
この家で明るく献身的な妻ジェシカと、父の亡くなった後も仲良く暮らしていました。
でも、ある日ジェシカが不治の病に・・・。
保険制度のないアメリカではあまりに高額な治療費を払うことができません。家を売ってもと考えたフレッドでしたが、古い家では価値がないとの評価。
何をすることもできず、ただ最愛の大切なジェシカの命の灯が、少しずつ小さくなっていくのを見守るだけ。
もうこれが最後になるのか・・・、
デトロイト美術館を訪れてジェシカの好きな一枚の絵の前に行くと、
「ねえ、フレッドお願いがあるの。」
「あたしがいなくなっても・・・・彼女に会いに来てくれる?」
「彼女、あなたが来てくれるのを、きっと待っていてくれるはずだから。」
「あたしも、待っているわ。あなたのこと、見守っているわ。」
「彼女と一緒に、ここで。」 デトロイト美術館の奇跡 p29
この本を読んでからその絵を見てみたいと強く思っていました。
それから1ヶ月半くらい経ち、
ようやく12月18日の土曜日、ジェシカとフレッドの「彼女」に会うことができました。
上野の森の美術館のエントランスにはデトロイト美術館の壁画、原田マハの小説にも書かれていたディエゴ・リベラ「デトロイトの産業」もタペストリーの様に展示されていて、館内に入る前から心臓が高鳴ります。
彼女に会いに行ったのですが、やはりアメリカでも有数の名画の所蔵を誇る美術館です。
浮気ではないですが、惹かれる絵が何点かありました。
先ずは一番初めに展示してあったルノワールの 「白い服の道化師」。この絵、とても気にいってしまいました。
真珠の様に輝くようなピュアな白。全体から優しさが、かわいらしさが滲みでてきます。
部屋に飾っておくならこういう絵が良いな。
モデルはルノアールの息子、当時7歳のジャンなのだそうです。
早く彼女に会いたいのですが、しばらく釘付けになっていました。
《 Renoire The White Pierrot 1901-1902 》
それから、この展覧会のポスターにもなっているゴッホの自画像も。
ゴッホの自画像は何点かありますが、これも目力が感じられます。二つの目だけではなくて画面全体から。
絵筆だけでなく指で絵具を塗った跡があり、ゴッホがここにいると感じさせてくれる絵でした。
《 Gogh Seif Portrait 1887》
ナビ派のドニも気になる画家なのですが、
このポスターの絵画版は彼のものにしては変わっているのかな? ポスターだけにパステル調の色彩でなく、描き方はアール・ヌーヴォーの作品の様で記憶に残りました。
《 Maurice Denis La Depeche Toulause 1892》
印象派の画家たちと同じころに活躍したルドンは、目玉や怪物、奇怪な人物等、幻想的な作品をたくさん残しています。
そんな作品のイメージの中で、この「心に浮かぶ蝶」は、山種美術館で見た速水御舟の「炎舞」を思い起こし、なんとなく和的な感じもした一枚でした。
《 Redon Evocation of Butterflies 1910-1912》
そして、
そして、
ルノワール作「画家の夫人の肖像」にやっと・・・。
何回か同じ感覚を持ったことがあります。フェルメールのミルクを注ぐ女、モネの水連 etc etc …。
絵の周りが輝いている、この絵だけ明るく感じる。
ただ、じっとこの絵の前で佇んでいました。
セザンヌの絵でこんなに好きになったものは他にはありません。
「なんだろう、この感じ・・・
あるとき、ふと、この絵の中のマダム・セザンヌは、なんとなくジェシカに似ているんだと気が付いた。」
「彼女はフランス人で、白人で、ほっそりとしていて、不機嫌で、何もかも全部ジェシカとは違う。
それなのに、すべてが似ている、と・・・」
---彼女、お前に似ているね。 デトロイト美術館の奇跡 P26
《 Cezanne Madame Cezanne 1886》
不機嫌なのかな? それにフランス人というよりも東洋的な感じもして。
でも長い時をかけることでしか生まれてこない、ある種の親密さを感じて、
愛おしさや優しさも感じられて、
フレッドのジェシカへの思いも・・・。
美術館は久しぶりでした。
1月に「君が叫んだその場所こそがほんとの世界の真ん中なのだ」展
2月に「フェルメールとレンブラント 17世紀オランダ黄金時代の巨匠たち」展
7月に「メアリー・カサット」展を見て以来ですから、今年4つ目の展覧会はほぼ半年ぶり。
4つしか見なかったけれど、どれも心に残る良い展覧会だったな。
開館と同時に入ってゆっくり見たのでお腹が空きました。
一人だったので、上野の駅中の東京じゃんがらラーメンで、半熟卵入りラーメン。
テーブルにあった辛子高菜と紅ショウガをのっけて、「ずずずっ」と!! 熱々のところを頂きました。
ラーメンは久しぶりでとても美味しかった。
札幌で出会った原田マハの「デトロイト美術館の奇跡」で知った「Madame Cezanne 」。
今年見た中ではフェルメールと共にとても良い作品でした。
デトロイト美術館展は1月21日までです。
ぼくが行ったのは土曜日でできませんでしたが、月曜日と火曜日には写真の撮影も許可されています。
好きな作品を自分のカメラに収めてくることもできるのですね。
『来年はもう少したくさんの絵画たちとも出会えるようにしたいな』等と、改めて思わせてくれる素敵な展覧会でした。
さて、今年も残すところ10日を切ってしまいました。色々と片付けないといけないこともありますが、この3連休は楽しみたいと思います。
クリスマスも、明日はN響の第9も待ってます。皆さんも良いクリスマスを ♪ ^^v
" 2016/12/18 Detroito Institute of Art Exhibition & DIA A Portrait of Life "
メアリー・カサット展_横浜美術館:20160718 [展覧会]
楽園のカンヴァス、http://wolfym.blog.so-net.ne.jp/2014-10-13
ジヴェルニーの食卓、http://wolfym.blog.so-net.ne.jp/2015-11-01
ロマンシェ、http://wolfym.blog.so-net.ne.jp/2016-02-05
黒幕のゲルニカ、http://wolfym.blog.so-net.ne.jp/2016-06-07
原田マハさんの絵画ものはみんな大好きな作品です。
そんな素晴らしい作品の関係する展覧会、
ジヴェルニーの食卓とモネ展、ロマンシェと「君が叫んだその場所こそがほんとの世界の真ん中なのだ」展は、
読んだ話と展覧会がコラボしているようでとても素晴らしかった。
モネはジヴェルニーの食卓を読んで展覧会に行って、以前よりもずっとずっと好きになりました。
7月の3連休、海の日のこと。
最近、疲れていて感受性が落ちているのか、絵を見たいと必死には思わなくなっていました。
それでも気になる展覧会のルノワール展とメアリー・カサット展。
暑いし、あまり気のりもしないけれど・・・時間はあるから、近い方かな。
原田マハさんのジヴェルニーの食卓の「エトワール」に出てきたメアリー・カサットにしようと、横浜美術館まで出かけてきました。
そんな、気乗りのしないままでかけた展覧会でしたが、
原田マハ絵画ものファミリー?、メアリー・カサット展は予想以上に素敵でした。
先ずは、たくさんの展示されていた作品の中で気に入ったもの。
この絵良いなぁ~、
二人の子供の絵と言うとゴーギャンの絵をぼくは思い出すのですが、その絵よりも気に入りました。
仲の良い子供二人、姉妹かもしれません。一緒に浜辺に座って、
仲が良いのだけれど、寄り添いながら、それでも子供特有のしっかりとじぶんの世界の中一生懸命にめいめいが遊んでいる、そんな感じが伝わってきます。しばらく、じっと見ていました。
頬っぺたの感じもぶくっとふくよかでバラ色。そっと触れてみたくなります。
上にちょこっと見える水平線を境とする空と海。
心地よい波と風の音も聞こえてきそう。
この絵が一番に気に入りました。
<浜辺で遊ぶ子供たち 1884年 ワシントン・ナショナルギャラリー>
ドライポイントで製作されたこの「農家の母と子」は全体の色彩、藍色とグラデーションの緑色の色彩がとても素敵です。
三角形の落ち着いた構図、お母さんと子供の信頼しきった感じが醸し出されていると思います。
それに、何と言ってもこの絵で一番気に入ったのは、真っ直ぐに前を見つめる子供の表情。
とっても可愛い。
<農家の母と子 1894年 メトロポリタン美術館>
見ていてなぜかセザンヌがいるって思った作品。
ジャポニズム、浮世絵の影響を受けているのでしょう。
展覧会の解説にも書いてありましたが、輪郭線、線がすごいなぁ~。それにやっぱり背景のブルーの色彩感覚がすごいなぁ。
<沐浴する女性 1890年~1891年 プリンマー・カレッジ>
メアリー・カサット、描いたものは女性と子供、そして母と子だと思うのですが、女性画家らしいテーマ。
数多く書かれている母と子の絵の中ではこの「母の愛撫」が一番気に入りました。
絵は母の愛撫ですが、子供のぷっくらとした可愛い掌で愛撫されているお母さんの頬、閉じた右目の表情が、ものすごく幸せそうです。
母と子の自然な。天地がそこにできるよりも前に、もしかすると神様でさえ自明のものとして宇宙の真理の一つとして認めてしまうのかもしれない、
悔しいけれど、父親には入り込めないような深い信頼と愛がここに描かれているのだと思います。
<母の愛撫 1896年頃 フィラデルフィア美術館>
そうそう、メアリー・カサットは印象派の画家。
印象派に加わる経緯、
そのきっかけとなったドガとの出会いは、原田マハさんの「エトワール」に書かれています。
ウインドウに鼻を押し付けて見入ってしまったメアリー、ドガの絵・・・。印象派展へ、ドガのメアリーへの誘い。
ドガとメアリーとの関係は実際にはどうだったのでしょう?
<眠たい子供を沐浴させる母親 1880年 ロサンゼルス郡立美術館>
この2枚はこの展覧会で印象派らしいなと思った作品です。
特に「タペストリー・フレームに向かうリディア」は向かって左側の窓からの優しい光がとても素敵でした。
フェルメールの永遠の光。一瞬を閉じ込めてしまった光を思い出しました。
メアリー・カサット、印象派の画家なんだと納得した作品です。
<タペストリー・フレームに向かうリディア 1881年 フリント・インスティチュート・オブ・アーツ>
つい最近、DVDをTSUTAYAで借りて「黄金のアデーレ名画の帰還」を見たのですが、とても面白かった。
久しぶりに映画らしい映画を見たなと思いました。映画もたまには見ないとなと。
その映画にクリムトの「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I」の正式な持ち主の役でアカデミー賞女優のヘレン・ミレンが出ていましたが、とても美しかった。
晩年のメアリー・カサット、ヘレン・ミレンに似ていると思いました。
知的で美しい素晴らしい方だったのですね。
日本風。
<手紙 1890-1891年 アメリカ議会図書館>
メアリー・カサットも
他の印象派の画家同様、浮世絵に興味を持ち日本の美術に影響を受けたのがよく分かりました。
構図や平面的描き方トリミング。
それだけでなく描かれた女性たちも日本人のようです。
背景に例えば「いろはにほへと」、
短歌や和歌、そんなものを書いても違和感はないかな。
<午後のお茶会 1890-1891年 プリンマー・カレッジ>
どうして、
人の顔や犬を詳細に描き、周りは省略? 荒いまま残しているのだろう?
数枚の絵を見てそんな疑問。
<犬を抱くラズベリー色の服の女性 1901年 ハーシュホーン美術館>
そうなんだ、
<母と子 1901-1902年 個人蔵>
周りを書き込まない方が、見て欲しいもの、
表現したいものをより引き立てることができるんだ。
写真のボケの効果と同じなのかもしれない。
近くよりも、少し離れて見て、より一層その感じがよく分かりました。
<ソファに腰掛けるレーヌとマーゴ 1902年>
原田マハ「エトワール」
きっと主人公はドガが残したバレリーナ、少女の像。
メアリー・カサットはこの作品では狂言回しなのかもしれません。
本を読んでどんな女性なのだろう?
どんな絵を描く画家なんだろう? と思っていました。
裕福な恵まれた家庭に生まれた女性、
上流階級の穏やかでゴージャス、可愛い子供たちに囲まれた生活が保障されていたのに、
父親からはようやくの許しを得て、でも最低限の援助しかもらえずに、
女性、アメリカ人等という、いくつかの困難さを背負ってのパリでの画家修業は大変だっだろうなと思います。
原田マハさんの「エトワール」で興味を持ち、そして今回の展覧会でその作品に触れ、買ってきた図録でメアリー・カサットのことを読み、少しだけですが彼女のことを知ることができました。
アメリカでさえ女性の参政権が得られていない時代。
女性画家の数は少なく、
描く絵には女性らしいという理由で柔らかな線や筆遣いを求められていた時代。
メアリー・カサット、女性画家の先駆者として数多くの困難を乗り切ってきたのだと思います。
女性の地位向上のための活動などでは、兄や弟との確執もあったようだし、
生涯独身であったし、きっと色々なものを犠牲にもしてきたのかなと。
今度は、メアリー・カサット自身のこと、そんなこと達を原田マハさんに書いて欲しいなと思いました。
それと、映像化するならメアリー役はぜひヘレン・ミレンでお願いします。
メアリー・カサット展を見た後、横浜美術館の収蔵作品達(キリコやダリやetc etc ・・・)を久し振りに、
のんびりと鑑賞させてもらって外に出ました。
濵のみなとみらい地区は外に出てもたくさんのアート。
クィーンズイーストには催し物? ピカチュウがいっぱいでした。
そういえば、昨日からでしたっけ?
ポケモンGO が日本にも配信されましたね。濵だけでなく日本中で今、ピカチュウ探しかもしれません。
日本丸は総帆展帆の日でした。
そういえば、前回散歩した時も総帆展帆だったな。
みなとみらいの日本丸は凛々しくて素敵ですが、
帆を張った日本丸がやはりとってもかっこいいです。
横浜美術館でゆっくり、
そして、日本丸のあたりを散歩して、そう言えば起きてから何も食べていないのに気が付きました。
暑いしあまり食欲がないこともあって忘れていました。
駅に着けばカツオと醤油の出汁の良い香り。いつものように桜木町駅の川村屋さんで、
おばさんたちに天玉蕎麦を作ってもらって美味しくいただきました。
前にも書きましたが、ここの立ち食い蕎麦はちょっと違います。創業は1900年、桜木町が初代横浜駅だったころからの営業、歴史と伝統、それに天然出汁にこだわった美味しさ。
多少体調が悪いせいもあって感受性も、出かける気力も落ち気味ですけれど、
出かけると色々なものに出合えます。
家でくすぶっているよりはエイヤッと潔く出かけてしまった方が良いかな ^^
メアリー・カサット展、
母と子の優しい情愛にあふれていてこころがほっこり、幸せと優しさのおすそ分けをもらった展覧会でした。
とても良かったです(気乗りがしないで出かけたことは・・・シッー ! 内緒です ^^;) 。
" 2016/07/18 Mary Cassatt Retrospective "
ジヴェルニーの食卓、http://wolfym.blog.so-net.ne.jp/2015-11-01
ロマンシェ、http://wolfym.blog.so-net.ne.jp/2016-02-05
黒幕のゲルニカ、http://wolfym.blog.so-net.ne.jp/2016-06-07
原田マハさんの絵画ものはみんな大好きな作品です。
そんな素晴らしい作品の関係する展覧会、
ジヴェルニーの食卓とモネ展、ロマンシェと「君が叫んだその場所こそがほんとの世界の真ん中なのだ」展は、
読んだ話と展覧会がコラボしているようでとても素晴らしかった。
モネはジヴェルニーの食卓を読んで展覧会に行って、以前よりもずっとずっと好きになりました。
7月の3連休、海の日のこと。
最近、疲れていて感受性が落ちているのか、絵を見たいと必死には思わなくなっていました。
それでも気になる展覧会のルノワール展とメアリー・カサット展。
暑いし、あまり気のりもしないけれど・・・時間はあるから、近い方かな。
原田マハさんのジヴェルニーの食卓の「エトワール」に出てきたメアリー・カサットにしようと、横浜美術館まで出かけてきました。
そんな、気乗りのしないままでかけた展覧会でしたが、
原田マハ絵画ものファミリー?、メアリー・カサット展は予想以上に素敵でした。
先ずは、たくさんの展示されていた作品の中で気に入ったもの。
この絵良いなぁ~、
二人の子供の絵と言うとゴーギャンの絵をぼくは思い出すのですが、その絵よりも気に入りました。
仲の良い子供二人、姉妹かもしれません。一緒に浜辺に座って、
仲が良いのだけれど、寄り添いながら、それでも子供特有のしっかりとじぶんの世界の中一生懸命にめいめいが遊んでいる、そんな感じが伝わってきます。しばらく、じっと見ていました。
頬っぺたの感じもぶくっとふくよかでバラ色。そっと触れてみたくなります。
上にちょこっと見える水平線を境とする空と海。
心地よい波と風の音も聞こえてきそう。
この絵が一番に気に入りました。
<浜辺で遊ぶ子供たち 1884年 ワシントン・ナショナルギャラリー>
ドライポイントで製作されたこの「農家の母と子」は全体の色彩、藍色とグラデーションの緑色の色彩がとても素敵です。
三角形の落ち着いた構図、お母さんと子供の信頼しきった感じが醸し出されていると思います。
それに、何と言ってもこの絵で一番気に入ったのは、真っ直ぐに前を見つめる子供の表情。
とっても可愛い。
<農家の母と子 1894年 メトロポリタン美術館>
見ていてなぜかセザンヌがいるって思った作品。
ジャポニズム、浮世絵の影響を受けているのでしょう。
展覧会の解説にも書いてありましたが、輪郭線、線がすごいなぁ~。それにやっぱり背景のブルーの色彩感覚がすごいなぁ。
<沐浴する女性 1890年~1891年 プリンマー・カレッジ>
メアリー・カサット、描いたものは女性と子供、そして母と子だと思うのですが、女性画家らしいテーマ。
数多く書かれている母と子の絵の中ではこの「母の愛撫」が一番気に入りました。
絵は母の愛撫ですが、子供のぷっくらとした可愛い掌で愛撫されているお母さんの頬、閉じた右目の表情が、ものすごく幸せそうです。
母と子の自然な。天地がそこにできるよりも前に、もしかすると神様でさえ自明のものとして宇宙の真理の一つとして認めてしまうのかもしれない、
悔しいけれど、父親には入り込めないような深い信頼と愛がここに描かれているのだと思います。
<母の愛撫 1896年頃 フィラデルフィア美術館>
そうそう、メアリー・カサットは印象派の画家。
印象派に加わる経緯、
そのきっかけとなったドガとの出会いは、原田マハさんの「エトワール」に書かれています。
ウインドウに鼻を押し付けて見入ってしまったメアリー、ドガの絵・・・。印象派展へ、ドガのメアリーへの誘い。
ドガとメアリーとの関係は実際にはどうだったのでしょう?
<眠たい子供を沐浴させる母親 1880年 ロサンゼルス郡立美術館>
この2枚はこの展覧会で印象派らしいなと思った作品です。
特に「タペストリー・フレームに向かうリディア」は向かって左側の窓からの優しい光がとても素敵でした。
フェルメールの永遠の光。一瞬を閉じ込めてしまった光を思い出しました。
メアリー・カサット、印象派の画家なんだと納得した作品です。
<タペストリー・フレームに向かうリディア 1881年 フリント・インスティチュート・オブ・アーツ>
つい最近、DVDをTSUTAYAで借りて「黄金のアデーレ名画の帰還」を見たのですが、とても面白かった。
久しぶりに映画らしい映画を見たなと思いました。映画もたまには見ないとなと。
その映画にクリムトの「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I」の正式な持ち主の役でアカデミー賞女優のヘレン・ミレンが出ていましたが、とても美しかった。
晩年のメアリー・カサット、ヘレン・ミレンに似ていると思いました。
知的で美しい素晴らしい方だったのですね。
日本風。
<手紙 1890-1891年 アメリカ議会図書館>
メアリー・カサットも
他の印象派の画家同様、浮世絵に興味を持ち日本の美術に影響を受けたのがよく分かりました。
構図や平面的描き方トリミング。
それだけでなく描かれた女性たちも日本人のようです。
背景に例えば「いろはにほへと」、
短歌や和歌、そんなものを書いても違和感はないかな。
<午後のお茶会 1890-1891年 プリンマー・カレッジ>
どうして、
人の顔や犬を詳細に描き、周りは省略? 荒いまま残しているのだろう?
数枚の絵を見てそんな疑問。
<犬を抱くラズベリー色の服の女性 1901年 ハーシュホーン美術館>
そうなんだ、
<母と子 1901-1902年 個人蔵>
周りを書き込まない方が、見て欲しいもの、
表現したいものをより引き立てることができるんだ。
写真のボケの効果と同じなのかもしれない。
近くよりも、少し離れて見て、より一層その感じがよく分かりました。
<ソファに腰掛けるレーヌとマーゴ 1902年>
原田マハ「エトワール」
きっと主人公はドガが残したバレリーナ、少女の像。
メアリー・カサットはこの作品では狂言回しなのかもしれません。
本を読んでどんな女性なのだろう?
どんな絵を描く画家なんだろう? と思っていました。
裕福な恵まれた家庭に生まれた女性、
上流階級の穏やかでゴージャス、可愛い子供たちに囲まれた生活が保障されていたのに、
父親からはようやくの許しを得て、でも最低限の援助しかもらえずに、
女性、アメリカ人等という、いくつかの困難さを背負ってのパリでの画家修業は大変だっだろうなと思います。
原田マハさんの「エトワール」で興味を持ち、そして今回の展覧会でその作品に触れ、買ってきた図録でメアリー・カサットのことを読み、少しだけですが彼女のことを知ることができました。
アメリカでさえ女性の参政権が得られていない時代。
女性画家の数は少なく、
描く絵には女性らしいという理由で柔らかな線や筆遣いを求められていた時代。
メアリー・カサット、女性画家の先駆者として数多くの困難を乗り切ってきたのだと思います。
女性の地位向上のための活動などでは、兄や弟との確執もあったようだし、
生涯独身であったし、きっと色々なものを犠牲にもしてきたのかなと。
今度は、メアリー・カサット自身のこと、そんなこと達を原田マハさんに書いて欲しいなと思いました。
それと、映像化するならメアリー役はぜひヘレン・ミレンでお願いします。
メアリー・カサット展を見た後、横浜美術館の収蔵作品達(キリコやダリやetc etc ・・・)を久し振りに、
のんびりと鑑賞させてもらって外に出ました。
濵のみなとみらい地区は外に出てもたくさんのアート。
クィーンズイーストには催し物? ピカチュウがいっぱいでした。
そういえば、昨日からでしたっけ?
ポケモンGO が日本にも配信されましたね。濵だけでなく日本中で今、ピカチュウ探しかもしれません。
日本丸は総帆展帆の日でした。
そういえば、前回散歩した時も総帆展帆だったな。
みなとみらいの日本丸は凛々しくて素敵ですが、
帆を張った日本丸がやはりとってもかっこいいです。
横浜美術館でゆっくり、
そして、日本丸のあたりを散歩して、そう言えば起きてから何も食べていないのに気が付きました。
暑いしあまり食欲がないこともあって忘れていました。
駅に着けばカツオと醤油の出汁の良い香り。いつものように桜木町駅の川村屋さんで、
おばさんたちに天玉蕎麦を作ってもらって美味しくいただきました。
前にも書きましたが、ここの立ち食い蕎麦はちょっと違います。創業は1900年、桜木町が初代横浜駅だったころからの営業、歴史と伝統、それに天然出汁にこだわった美味しさ。
多少体調が悪いせいもあって感受性も、出かける気力も落ち気味ですけれど、
出かけると色々なものに出合えます。
家でくすぶっているよりはエイヤッと潔く出かけてしまった方が良いかな ^^
メアリー・カサット展、
母と子の優しい情愛にあふれていてこころがほっこり、幸せと優しさのおすそ分けをもらった展覧会でした。
とても良かったです(気乗りがしないで出かけたことは・・・シッー ! 内緒です ^^;) 。
" 2016/07/18 Mary Cassatt Retrospective "
フェルメールとレンブラント 17世紀オランダ黄金時代の巨匠たち展:20160220 [展覧会]
18枚目のフェルメール。
2007年、「ミルクを注ぐ女」に新国立美術館で会い
あの、一瞬の、永遠の光に魅了されました。
それ以来、来日したフェルメールは欠かさず観ていますが、今回初来日の「水差しを持つ女」は、
ぼくにとっての18枚目。
1632年に生まれて1675年に亡くなったフェルメール。
現在フェルメール作と言われている作品は「?」が付くものも含めて37点。
18枚というと、その作品のおよそ半分になります。
海外で見たものは1点だけなので、日本の美術館も頑張ってくれているのだと思いますが、
もっともっとフェル様の作品が見たいので、もっともっと頑張って作品を連れてきてくれるといいな。
2月20日、友達を誘って六本木ヒルズ52F 森アーツセンターギャラリーに出かけてきました。
今回の展覧会、フェルメールとレンブラントの作品だけでなく、質の高い絵が多く来日していると思いました。
先ずは風景画で気になった2点。
メインデルト・ホッベマの「水車小屋」は、
水が流れ落ちるその瞬間をまるでカメラで撮った写真の様に描いています。
17世紀のオランダ絵画で、この様に動きを一瞬で捉えた作品ってあまり記憶がありません。
メインデルト・ホッベマ、よほど動きのあるものの描写に自信があったのでしょうね。
≪メインデルト・ホッベマ 水車小屋 1666年 62.0×85.5≫
同じく風景画では、ヤーコブ・エッセンスの真ん中に大きな木を配した絵もすごいなと思いました。
真ん中にどーんと大きな木を置いた構図は、とても大胆で描くには勇気がいるだろうなと。
≪ヤーコブ・エッセレンス フェヒト川沿いに集う人々 1660~65年 100.3×81.3≫
ピーテル・クラースゾーン。
2012年に開催された「マウリッツハイス美術館展」でフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」と一緒に、骸骨を描いた静物画「ヴァニタスの静物」を見て記憶に焼き付いています。
この人の静物画はとにかく細密。グラスに写りこんでいるこちら側の窓、室内の様子、皮を剥いたレモンの果実の透明さはすごいなぁ。
≪ピーテル・クラースゾーン 銀器やグラス、皮の剥かれたレモンのある静物 1660年 64.2×48.2≫
フェルメールの追っかけをしていると、先ほどのクラースゾーンと同じように、自然と目にすることが多く自然に「チーム・フェルメール」? 好きになった画家が何人かいます。
カレル・ファヴブリティウスは、レンブラントの弟子とのことですが、
カラヴァジョ風の背景が暗くてスポットライトが当たったような作品とは異なり、どこかフェルメールの光たちを思わせる優しい光を作品の中に探すことができる画家です。
1654年、この作品が書かれたその年にデルフトの火薬庫の大爆発に巻き込まれてなくなってしまいました。
フェルメールの先生とも呼ばれている、カレル・ファプリティウス、
もう少し長生きしてくれていたら、フェルメールとはまた少し違った素敵な作品を残してくれていたのではないかと残念です。
「マウリッツハイス美術館展」で見た「ゴシキヒワ」も好きな絵。
≪カレル・ファプリティウス 帽子と胴よろいをつけた男(自画像) 1654年 70.5×1.5≫
「チーム・フェルメール」の中で、その光がフェルメールに通じるなと思うのがカレル・ファプリティウスなら、風俗画の構図の面では、ピーテル・デ・ホーホです。
たくさんの風俗画があり画家がいる中で、落ち着いたデ・ホーホの感じはとても好きです。
この絵の向かって左の通路は、フェルメールの小路を連想してしまいます。
フェルメールもきっとデ・ホーホの作品をたくさん見ていたのでしょうね。
≪ピーテル・デ・ホーホ 女性と召使のいる中庭 1660~61年 73.7×62.6≫
そして、今回の展覧会の目玉の一つにもなっているレンブラントの作品。
ローマの戦の女神ベローナ。
左手に持つ盾の質感、描写はすごいな。恐ろしくて描かれたメドゥサの首を長くは見ていられませんでした。
≪レンブラント・ファン・レイン ベローナ 1633年 127.0× 97.5≫
そして、18枚目。
ヨハネス・フェルメール「水差しを持つ女」です。 はるばるニューヨーク メトロポリタン美術館から六本木にやってきてくれました。
別格。
展覧会には「17世紀オランダ黄金期の巨匠たち」の、かなり質の高い絵がずらりと並んでいるのですが、
森アーツセンターギャラリーの壁面に展示されているフェルメールの一枚は
そこだけ優しい光を放っているよう。
40cm程四方の作品が、それ自身、絵画の中から光を放っているように感じました。
ミルクを注ぐ女の時にも同じように感じましたが、ミルクを注ぐ女の時の光より、優しいひかり。
ぼくらはただただ、
その光を感じている。至福の時。
≪ヨハネス・フェルメール 水差しを持つ女 1662年 45.7× 40.6≫
絵の中の光の量、従って明るさ、画面の切り取り方(写真のよう) etc etc ・・・、他の画家たちとは明らかに異なっています。
SFの世界ではないけれど、違う時代から1660年代にタイムスリップしたフェルメールという画家がいたのではないか? などとも思ってしまう。
静寂な朝、身支度をする一人の女性。
この絵の中の光、全部が好きですが、窓枠に今差し込んだばかり、
窓枠にたまって明るく輝いている光たちが特に好きです。
よく見ると、窓には白い雲も映りこんでいました。
友達と、一回り展覧会を見て、もう一度フェルメールに戻って、
そんなに混んでいなかったので、近くに寄って、少し離れて「水差しを持つ女」をじっくりと鑑賞してきました。
満足。
そして、お腹が空きました (笑) 。
5F のレストラン街で、先ずは冷たいビールを一杯。
お疲れ様~ !! フェルメールよかったね!!
こころにたっぷりと栄養を取った後は、体にも栄養です。
ハンバーグのランチ、
ホイル包みのハンバーグと、トマトのサラダ、パンを頂きました。
久しぶりに会った友達と、近況の報告やこの日の展覧会のこととかを話していて、
自分にとって18枚目であるとの話をすると、友達はもっとたくさん見ているとのことでした。
そういえば、2007年以降、ぼくが見ているフェルメールは彼と全部一緒に見ているのでした。
ぼくが海外で見たのはウィーン美術史美術館の「絵画芸術」だけなのですが、彼は他の海外の美術館でも見ているとのこと。
う~ん、負けてる (笑) 。
フェルメールの後も、楽しい時間を過ごすことができました。
今、東京には、カラヴァッジョ、ダ・ヴィンチ、ボティッチェリ等のすごい絵がたくさん来ています。
それらも見に行こうと、またの再開を約して友達とわかれました。
一人で、のんびり、自分のペースで鑑賞するのも良いですが、
見た後であれこれと話しをしながら、冷たいビールを頂ける友達と一緒に鑑賞するのも良いものです。
まして、鑑賞した絵がフェルメールのものであるならば、なおさらです ^^v
図録と「水差しを持つ女」のトートバックを買ってきましたが、使わないでしょ? とトートバックは娘にとられました。
そうかなぁ~? 休みに出かける時に自分で使おうと、PL6みたいな小さなカメラと文庫本で・・・等思っていたのですが (笑) ^^;
展覧会に出かけた後、感じてたこと優しい光のこと等を寝かしていたら、記事がこんなに長くなってしまいました。
フェルメールのことなら、まだまだ書けますが、とめどなく (笑)、
切りが付かないので、この辺でやめておきます。
あっ、もう一言だけ?
18枚目も 別格で 満足 ^^v
" 2016/02/20 VERMEER AND REMBRANDT THE MASTERS OF 17TH CENTURY DUTCH GOLDEN AGE "
2007年、「ミルクを注ぐ女」に新国立美術館で会い
あの、一瞬の、永遠の光に魅了されました。
それ以来、来日したフェルメールは欠かさず観ていますが、今回初来日の「水差しを持つ女」は、
ぼくにとっての18枚目。
1632年に生まれて1675年に亡くなったフェルメール。
現在フェルメール作と言われている作品は「?」が付くものも含めて37点。
18枚というと、その作品のおよそ半分になります。
海外で見たものは1点だけなので、日本の美術館も頑張ってくれているのだと思いますが、
もっともっとフェル様の作品が見たいので、もっともっと頑張って作品を連れてきてくれるといいな。
2月20日、友達を誘って六本木ヒルズ52F 森アーツセンターギャラリーに出かけてきました。
今回の展覧会、フェルメールとレンブラントの作品だけでなく、質の高い絵が多く来日していると思いました。
先ずは風景画で気になった2点。
メインデルト・ホッベマの「水車小屋」は、
水が流れ落ちるその瞬間をまるでカメラで撮った写真の様に描いています。
17世紀のオランダ絵画で、この様に動きを一瞬で捉えた作品ってあまり記憶がありません。
メインデルト・ホッベマ、よほど動きのあるものの描写に自信があったのでしょうね。
≪メインデルト・ホッベマ 水車小屋 1666年 62.0×85.5≫
同じく風景画では、ヤーコブ・エッセンスの真ん中に大きな木を配した絵もすごいなと思いました。
真ん中にどーんと大きな木を置いた構図は、とても大胆で描くには勇気がいるだろうなと。
≪ヤーコブ・エッセレンス フェヒト川沿いに集う人々 1660~65年 100.3×81.3≫
ピーテル・クラースゾーン。
2012年に開催された「マウリッツハイス美術館展」でフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」と一緒に、骸骨を描いた静物画「ヴァニタスの静物」を見て記憶に焼き付いています。
この人の静物画はとにかく細密。グラスに写りこんでいるこちら側の窓、室内の様子、皮を剥いたレモンの果実の透明さはすごいなぁ。
≪ピーテル・クラースゾーン 銀器やグラス、皮の剥かれたレモンのある静物 1660年 64.2×48.2≫
フェルメールの追っかけをしていると、先ほどのクラースゾーンと同じように、自然と目にすることが多く自然に「チーム・フェルメール」? 好きになった画家が何人かいます。
カレル・ファヴブリティウスは、レンブラントの弟子とのことですが、
カラヴァジョ風の背景が暗くてスポットライトが当たったような作品とは異なり、どこかフェルメールの光たちを思わせる優しい光を作品の中に探すことができる画家です。
1654年、この作品が書かれたその年にデルフトの火薬庫の大爆発に巻き込まれてなくなってしまいました。
フェルメールの先生とも呼ばれている、カレル・ファプリティウス、
もう少し長生きしてくれていたら、フェルメールとはまた少し違った素敵な作品を残してくれていたのではないかと残念です。
「マウリッツハイス美術館展」で見た「ゴシキヒワ」も好きな絵。
≪カレル・ファプリティウス 帽子と胴よろいをつけた男(自画像) 1654年 70.5×1.5≫
「チーム・フェルメール」の中で、その光がフェルメールに通じるなと思うのがカレル・ファプリティウスなら、風俗画の構図の面では、ピーテル・デ・ホーホです。
たくさんの風俗画があり画家がいる中で、落ち着いたデ・ホーホの感じはとても好きです。
この絵の向かって左の通路は、フェルメールの小路を連想してしまいます。
フェルメールもきっとデ・ホーホの作品をたくさん見ていたのでしょうね。
≪ピーテル・デ・ホーホ 女性と召使のいる中庭 1660~61年 73.7×62.6≫
そして、今回の展覧会の目玉の一つにもなっているレンブラントの作品。
ローマの戦の女神ベローナ。
左手に持つ盾の質感、描写はすごいな。恐ろしくて描かれたメドゥサの首を長くは見ていられませんでした。
≪レンブラント・ファン・レイン ベローナ 1633年 127.0× 97.5≫
そして、18枚目。
ヨハネス・フェルメール「水差しを持つ女」です。 はるばるニューヨーク メトロポリタン美術館から六本木にやってきてくれました。
別格。
展覧会には「17世紀オランダ黄金期の巨匠たち」の、かなり質の高い絵がずらりと並んでいるのですが、
森アーツセンターギャラリーの壁面に展示されているフェルメールの一枚は
そこだけ優しい光を放っているよう。
40cm程四方の作品が、それ自身、絵画の中から光を放っているように感じました。
ミルクを注ぐ女の時にも同じように感じましたが、ミルクを注ぐ女の時の光より、優しいひかり。
ぼくらはただただ、
その光を感じている。至福の時。
≪ヨハネス・フェルメール 水差しを持つ女 1662年 45.7× 40.6≫
絵の中の光の量、従って明るさ、画面の切り取り方(写真のよう) etc etc ・・・、他の画家たちとは明らかに異なっています。
SFの世界ではないけれど、違う時代から1660年代にタイムスリップしたフェルメールという画家がいたのではないか? などとも思ってしまう。
静寂な朝、身支度をする一人の女性。
この絵の中の光、全部が好きですが、窓枠に今差し込んだばかり、
窓枠にたまって明るく輝いている光たちが特に好きです。
よく見ると、窓には白い雲も映りこんでいました。
友達と、一回り展覧会を見て、もう一度フェルメールに戻って、
そんなに混んでいなかったので、近くに寄って、少し離れて「水差しを持つ女」をじっくりと鑑賞してきました。
満足。
そして、お腹が空きました (笑) 。
5F のレストラン街で、先ずは冷たいビールを一杯。
お疲れ様~ !! フェルメールよかったね!!
こころにたっぷりと栄養を取った後は、体にも栄養です。
ハンバーグのランチ、
ホイル包みのハンバーグと、トマトのサラダ、パンを頂きました。
久しぶりに会った友達と、近況の報告やこの日の展覧会のこととかを話していて、
自分にとって18枚目であるとの話をすると、友達はもっとたくさん見ているとのことでした。
そういえば、2007年以降、ぼくが見ているフェルメールは彼と全部一緒に見ているのでした。
ぼくが海外で見たのはウィーン美術史美術館の「絵画芸術」だけなのですが、彼は他の海外の美術館でも見ているとのこと。
う~ん、負けてる (笑) 。
フェルメールの後も、楽しい時間を過ごすことができました。
今、東京には、カラヴァッジョ、ダ・ヴィンチ、ボティッチェリ等のすごい絵がたくさん来ています。
それらも見に行こうと、またの再開を約して友達とわかれました。
一人で、のんびり、自分のペースで鑑賞するのも良いですが、
見た後であれこれと話しをしながら、冷たいビールを頂ける友達と一緒に鑑賞するのも良いものです。
まして、鑑賞した絵がフェルメールのものであるならば、なおさらです ^^v
図録と「水差しを持つ女」のトートバックを買ってきましたが、使わないでしょ? とトートバックは娘にとられました。
そうかなぁ~? 休みに出かける時に自分で使おうと、PL6みたいな小さなカメラと文庫本で・・・等思っていたのですが (笑) ^^;
展覧会に出かけた後、感じてたこと優しい光のこと等を寝かしていたら、記事がこんなに長くなってしまいました。
フェルメールのことなら、まだまだ書けますが、とめどなく (笑)、
切りが付かないので、この辺でやめておきます。
あっ、もう一言だけ?
18枚目も 別格で 満足 ^^v
" 2016/02/20 VERMEER AND REMBRANDT THE MASTERS OF 17TH CENTURY DUTCH GOLDEN AGE "
原田マハロマンシエ&「君が叫んだその場所こそがほんとの世界の真ん中なのだ展」:2016023 [展覧会]
寒いから、よけいぬくぬくのお布団からは抜け出せない。
でもでも、どうしても起きなくっちゃならなくて。
家族はみんなまだ寝ているけど、清水じゃなくてマッキンレーの山頂から飛び降りちゃうつもりで、
ようやくお布団から抜け出した あたし・・・。
ということで(笑)、
1月23日の土曜日、東京ステーションギャラリーへと向かいました。
昨年初めて、鴨井玲の展覧会で訪れた美術館ですが、東京駅の赤レンガそのままの壁に展示された絵画たちの
雰囲気がとても良くて、一回訪れてとても気に入った美術館です。
今回は、一冊の本を読み終えるための美術館訪問。
あっ、
冒頭は特に頭がおかしくなった訳ではなく、
その本を読んでいると自然に? そんな風になってしまった訳で・・・(笑)。
小説の主人公の美智之助君のこころの中での話し方に、本を読み進めていてだんだんと染まってしまったのです。
原田マハの新刊「ロマンシエ」。盛岡出張の際に盛岡駅のさわや書店フェザン店さんで見つけて買った本。
帰りのはやぶさの中でどんどん読み進み、東京駅に着けば、「あら、もう東京? (笑)」。
美術学校の卒業制作で最優秀をとった美智之助、賞品はパリの美術学校への留学。
代議士の父親からは政略結婚? 党の幹事長のかなり年のいった一人娘との結婚を迫られていることもあり、
卒業後の進路も決まっていないことから、パリへの留学を決める。
ところが、国立の美術学校と思い憧れのパリを訪れたものの、留学先の学校はそのそばにある一美術塾で・・・。
かくして、美智之助のパリでのかなりおかしな生活が始まるのですが、ふとしたことから、有名小説家であり美智之助も大ファンである女流小説家の羽生光晴と出会い、またリトグラフ工房のidemとそこで働く人たちと出会います。
幼いころから男の子と遊ぶより女の子たちとシルバニアファミリーで遊ぶことが好きで、あこがれる対象もかっこいい男子であった美智之助。
パリに訪れる際も、ひそかに恋い焦がれる同級生の高瀬君とのつらい別れがあったのですが、光晴やidemの人たちとの生活の中で真のじぶんを見つけていく・・・。
かなりドタバタで、カーチェイスの場面などアニメのルパン三世をほうふつとさせる場面もありますが、
最後の海の場面、キスの場面はジーーン。
そんな小説と、実際の展覧会がコラボしていると本で知り、やはりこの本を読み終わるには開催されている展覧会に行かねば。
それで、ぬくぬくとしていた布団から、マッキンレーの頂上から飛び降りるつもりで、抜け出した訳です。
パリのリトグラフ工房「Ⅰdem Paris」、
ピカソやマチスやその他現代までの著名な多くのアーティストがここの魅力に取りつかれ、作品を制作した工房。
そこで制作されたリトグラフの数々を展示した「君が叫んだその場所こそがほんとの世界の真ん中なのだ」パリ・リトグラフ工房idemから ―現代アーティスト20人の叫びと囁き展、とても見甲斐がありました。
<ジャン・ミシェル・アルベロラ 地理 2014>
映画監督のデヴィッド・リンチの作品、JRの写真との融合の作品、表現もいろいろ発想も様々で、アーティストたちが魅了されその制作に取りつかれてしまうのも、今回展示の作品たちを見ていると分かる気がしました。
<ダミァン・ドゥルベ いかさまのサイコロ 2011>
そうそう、小説ではこの展覧会の企画は美智之助の憧れの高瀬君であり、美智之助もこの展覧会に作品を出展することになっています。
また、羽生光晴が書き下ろしの文章をこの展覧会のために書くことにも。
<JR 「テーブルに寄りかかる男」(1915-1916)の前のポートレート、パブロ・ピカソ、パリ、フランス 2013>
展覧会で買ったカタログには、約束通り羽生光晴(原田マハ)としてidem のことが書かれていました。
羽生さんは高瀬君との約束をちゃんと果たしていました。
とすれば、美智之助の作品も。
どの作品が美智之助の作品かな? そんなことを思いながら、「ロマンシェ」、
最後のページたちは「地球の真ん中で叫んだところが真ん中なのだ」展を鑑賞することで読み終わりです。
<JR 女性たちはヒーロー プノンペンの活動 2011>
さすが原田マハ作品。さすがキュレーターの資格を持つ原田マハさんならではの世界。
<デヴィッド・リンチ 頭の修理 2010>
「楽園のカンヴァス」で原田さんと出会い、面白かったのでその後もいくつかの作品、「風のマジム」や「でーれーガールズ」を読みました。
「ジヴェルニーの食卓」は、昨年開催されたマンモッタン美術館「モネ展」で、晩年の睡蓮たちとブランシュの絵画たちとの出会いがあり、忘れられない作品になりました(ぼくの中ではこの展覧会も小説とのコラボでした)。
<パルテレミー・トグォ 裸のアマゾン 2009>
そして、今回のロマンシェです。
小説と実際の展覧会のコラボってすごく楽しい企画です。どちらも忘れられなくなります。
原田マハの作品ならではです。
次も今回の様に小説と展覧会のコラボがあるといいな。
とってもとっても感動して、むねがきゅんきゅんしちゃった、高瀬君、羽生光晴先生ありがとう。♡ (美智之助心の言葉風に 笑 )。
展覧会に「ロマンシェ」を持っていくと、1000円のチケットが700円になりました。
300円お得ですが、それよりも、
本の帯に、割引のスタンプを押してくれます。これが欲しかった。
これを押してもらって、本当に「ロマンシェ」読みきりです。
今年初めての展覧会は、原田マハ作品とのコラボ企画の展覧会でした。
企画としても面白かったし、リトグラフをこんなにたくさん一度に見たのは初めてでしたし、とても興味深く鑑賞できました。
さて、次はフェルメール。
久しぶりにフェルさまが来日しています。これは絶対に行かなくては!!
" 2016/01/23 Romanceer & Idem Paris Maha Harada ♡ "
でもでも、どうしても起きなくっちゃならなくて。
家族はみんなまだ寝ているけど、清水じゃなくてマッキンレーの山頂から飛び降りちゃうつもりで、
ようやくお布団から抜け出した あたし・・・。
ということで(笑)、
1月23日の土曜日、東京ステーションギャラリーへと向かいました。
昨年初めて、鴨井玲の展覧会で訪れた美術館ですが、東京駅の赤レンガそのままの壁に展示された絵画たちの
雰囲気がとても良くて、一回訪れてとても気に入った美術館です。
今回は、一冊の本を読み終えるための美術館訪問。
あっ、
冒頭は特に頭がおかしくなった訳ではなく、
その本を読んでいると自然に? そんな風になってしまった訳で・・・(笑)。
小説の主人公の美智之助君のこころの中での話し方に、本を読み進めていてだんだんと染まってしまったのです。
原田マハの新刊「ロマンシエ」。盛岡出張の際に盛岡駅のさわや書店フェザン店さんで見つけて買った本。
帰りのはやぶさの中でどんどん読み進み、東京駅に着けば、「あら、もう東京? (笑)」。
美術学校の卒業制作で最優秀をとった美智之助、賞品はパリの美術学校への留学。
代議士の父親からは政略結婚? 党の幹事長のかなり年のいった一人娘との結婚を迫られていることもあり、
卒業後の進路も決まっていないことから、パリへの留学を決める。
ところが、国立の美術学校と思い憧れのパリを訪れたものの、留学先の学校はそのそばにある一美術塾で・・・。
かくして、美智之助のパリでのかなりおかしな生活が始まるのですが、ふとしたことから、有名小説家であり美智之助も大ファンである女流小説家の羽生光晴と出会い、またリトグラフ工房のidemとそこで働く人たちと出会います。
幼いころから男の子と遊ぶより女の子たちとシルバニアファミリーで遊ぶことが好きで、あこがれる対象もかっこいい男子であった美智之助。
パリに訪れる際も、ひそかに恋い焦がれる同級生の高瀬君とのつらい別れがあったのですが、光晴やidemの人たちとの生活の中で真のじぶんを見つけていく・・・。
かなりドタバタで、カーチェイスの場面などアニメのルパン三世をほうふつとさせる場面もありますが、
最後の海の場面、キスの場面はジーーン。
そんな小説と、実際の展覧会がコラボしていると本で知り、やはりこの本を読み終わるには開催されている展覧会に行かねば。
それで、ぬくぬくとしていた布団から、マッキンレーの頂上から飛び降りるつもりで、抜け出した訳です。
パリのリトグラフ工房「Ⅰdem Paris」、
ピカソやマチスやその他現代までの著名な多くのアーティストがここの魅力に取りつかれ、作品を制作した工房。
そこで制作されたリトグラフの数々を展示した「君が叫んだその場所こそがほんとの世界の真ん中なのだ」パリ・リトグラフ工房idemから ―現代アーティスト20人の叫びと囁き展、とても見甲斐がありました。
<ジャン・ミシェル・アルベロラ 地理 2014>
映画監督のデヴィッド・リンチの作品、JRの写真との融合の作品、表現もいろいろ発想も様々で、アーティストたちが魅了されその制作に取りつかれてしまうのも、今回展示の作品たちを見ていると分かる気がしました。
<ダミァン・ドゥルベ いかさまのサイコロ 2011>
そうそう、小説ではこの展覧会の企画は美智之助の憧れの高瀬君であり、美智之助もこの展覧会に作品を出展することになっています。
また、羽生光晴が書き下ろしの文章をこの展覧会のために書くことにも。
<JR 「テーブルに寄りかかる男」(1915-1916)の前のポートレート、パブロ・ピカソ、パリ、フランス 2013>
展覧会で買ったカタログには、約束通り羽生光晴(原田マハ)としてidem のことが書かれていました。
羽生さんは高瀬君との約束をちゃんと果たしていました。
とすれば、美智之助の作品も。
どの作品が美智之助の作品かな? そんなことを思いながら、「ロマンシェ」、
最後のページたちは「地球の真ん中で叫んだところが真ん中なのだ」展を鑑賞することで読み終わりです。
<JR 女性たちはヒーロー プノンペンの活動 2011>
さすが原田マハ作品。さすがキュレーターの資格を持つ原田マハさんならではの世界。
<デヴィッド・リンチ 頭の修理 2010>
「楽園のカンヴァス」で原田さんと出会い、面白かったのでその後もいくつかの作品、「風のマジム」や「でーれーガールズ」を読みました。
「ジヴェルニーの食卓」は、昨年開催されたマンモッタン美術館「モネ展」で、晩年の睡蓮たちとブランシュの絵画たちとの出会いがあり、忘れられない作品になりました(ぼくの中ではこの展覧会も小説とのコラボでした)。
<パルテレミー・トグォ 裸のアマゾン 2009>
そして、今回のロマンシェです。
小説と実際の展覧会のコラボってすごく楽しい企画です。どちらも忘れられなくなります。
原田マハの作品ならではです。
次も今回の様に小説と展覧会のコラボがあるといいな。
とってもとっても感動して、むねがきゅんきゅんしちゃった、高瀬君、羽生光晴先生ありがとう。♡ (美智之助心の言葉風に 笑 )。
展覧会に「ロマンシェ」を持っていくと、1000円のチケットが700円になりました。
300円お得ですが、それよりも、
本の帯に、割引のスタンプを押してくれます。これが欲しかった。
これを押してもらって、本当に「ロマンシェ」読みきりです。
今年初めての展覧会は、原田マハ作品とのコラボ企画の展覧会でした。
企画としても面白かったし、リトグラフをこんなにたくさん一度に見たのは初めてでしたし、とても興味深く鑑賞できました。
さて、次はフェルメール。
久しぶりにフェルさまが来日しています。これは絶対に行かなくては!!
" 2016/01/23 Romanceer & Idem Paris Maha Harada ♡ "
モネ展 東京都美術館:20150919 [展覧会]
リリー・クラウスとか
最近読んだ長谷川等伯とか
その人の生き方や考えを方を良く知ることによって、今までとは違ったように演奏を聴くようになったり、
絵画を見るようになったりすることがあります。
昔読んだ本を読み返したときの、
新たな感慨に耽ったり、新しいことに気が付いたりするのと同じなのかもしれませんが、
感覚で見たり聴いたりするのももちろん大切ですが、経験によってもっともっと深く理解することができることもあるのだと思います。
クロード・モネ、
印象派の中では好きな画家でしたが、
睡蓮と、輪郭がなく光にあふれた作品の偉大な画家と言うくらいの認識でした。
でも・・・、
原田マハさんの「ジヴェルニーの食卓」を読んだときから、クロード・モネのことが頭から離れなくなっていました。
ぼくにとってのフェルメールやルオーと同じように、とても大切な画家になっていました。
それまで感じていた睡蓮や朝の光たちとは違い、一層の輝きと煌めきをカンヴァスから感じるようになっていました。
モネの人となり、その半生、
白内障を患い、最愛の妻や長男や友人たちには先立たれた晩年の悲しみ。その中で自らの最後の大作、睡蓮の壁画に挑む苦悩・・・。
そして、作品の主人公、早くなくなってしまったモネの長男の嫁、ブランシュの義父、モネに対する献身さとその愛おしさ・・・。
上質な作品は読んだ後、日が経つほどに、心の中で静かに発酵していくのですね。
感動は夜の湖の波紋のようにしずかに・・・静かに・・・知らぬ間に心の中に広がっていました。
そんな時、「マンモッタン美術館 モネ展」が開催されることを知ったので、
初日の9月19日に友達を誘って東京都美術館まで出かけてきました。
開館前10分くらいに美術館に着くと、階段の上に長い列が見えてきて、これは大変な混雑の時に来てしまったかな?
一瞬思いましたが、まだ美術館の開館前で門が開いていないせいだと分かり、友達と一安心 (笑)
≪雪の効果、日没 1875年 53×64≫
開館時間になり、10分ほど待ちましたがモネ展初日、
ゆっくり、まったりと楽しんでくることができました。
モネの雪の絵良いなぁ~。
この前オルセー美術館展で見た「カササギ」、とても素敵な絵でしたが、「雪の効果、日没」もとても気に入りました。
寒いのだろうけれど、冬の日の夕方の一瞬をとらえていて、白い雪の上には夕暮れ時の色々な色彩の光が、一日のお別れを言いに舞い降りてきているかのようです。
薄い茜色から、センチメンタルと優しさが伝わって来て、とても気に入りました。
≪霧のヴェトゥイユ 1879年 60×71≫
「霧のヴェトゥイユ」・・・、
モネは最初の奥さんカミーユを病気で亡くしています。最愛の妻、二人の幼い男の子を残して・・・。
この絵が画かれた1879年はカミーユのなくなった年だそうです。
そんなことを知ると「霧のヴェトゥイユ」霧の中からモネの悲しみが湧き上がってくるようで、しばらくこの絵から離れることができませんでした。
感受性の強い優しい人だったのではないかな?
少し離れて霧の景色の中にずっと佇んでいました。
≪印象、日の出 1872年 50×65≫
そして、今回の目玉の一つ。
「印象、日の出」。
展覧会でその絵の周りだけ輝いていたという経験を、ぼくは一度だけ持ったことがあります。
フェルメールの「ミルクを注ぐ女」と展覧会で出会った時だったのですが、
今回、2度目の経験となりました。 綺麗な、静かだけれど暖かい、穏やかな色彩・・・。展覧会の中でここだけがほのかな光を発しているかのようでした。
後景の明るいグレーのシルエット、中央より少し向かって右に上る太陽のピュアなオレンジ色。
画面に奥行きを持たせ、引き締める船頭の操る船の潔い黒色。
ただ、もう何も言えずに近くに寄ったり、少し離れて景色を眺めるように佇んでいたり・・・。ぼくはこの絵に会うのは確か2度目だったと思うのですが、今回、本当に好きになってしまいました。
印象派呼ばれる絵画の活動の名前のルーツ、それだけでもすごい画だと思うけれど、そんなことを抜きにしても、
やはり素敵な、
素敵な絵です。
展覧会には、モネの画いたこんなカリカチュアも(笑)。
展覧会に行くと、画家たちの今まで知らなかった活動をも知ることができて、楽しいですね。
≪睡蓮 1907年 100×73≫
そして、モネの睡蓮たち・・・。
≪睡蓮 1916-1919年 200×180≫
睡蓮の絵たちをこんなにゆっくりと鑑賞したことがなかったのですが、
≪睡蓮 1917-1919 100×300≫
年代別にモネの睡蓮たちを見ていくのはとても興味深かったです。
1926年12月5日になくなるまで、ジヴェルニーの庭で光たちに囲まれながら、睡蓮の絵を画き続けたモネ。
≪しだれ柳 1921-1922 116×89≫
このしだれ柳も、この前の睡蓮も、もう原型は光の中に溶けてなくなって、ただ光だけがそこにはあります。
20世紀の抽象画の先触れの様に言われることがあるようですが、
きっと目を悪くしたモネには、ジヴェルニーの庭の光たちが、このままに見えていたのだと思います。
光を愛し、その一瞬を捉え続けたモネ。
その姿勢は生涯ずっと変わらなかったのだと・・・、そう思います。
10月20日からは、もう一枚の大作が「印象、日の出」に替わって展示されています。
「サン=ラザール駅」。
この絵も見てみたい。 ぼくにとってかがやく3枚目になるかもしれません。
≪ブランシュ・オシュデ・モネ 水辺にて & ソレル=ムセルの家≫
それから、展覧会に行って、とてもうれしいことがありました。
小説の主人公であるブランシュが画いた絵に会うことができました。
小説の中では触れられていませんでしたが、ブランシュもモネの影響なのでしょうか? 絵を何点か残しているようです。
優しく暖かさを感じる2枚の絵と会えたこと・・・とてもうれしく思いました。
原田マハの一冊の小説。
モネとの再会。
大切な本。
12月13日までのモネ展。
もう一度行きたいと思います。サン=ラザール駅、睡蓮たち、そして、ブランシュの絵にももう一度会いたい。
モネという画家を再認識させてくれたきっかけは一冊の本。
やはり色々なことを見たり聴いたり、経験することはとても大切ですね。
この年になっても、新たな出会いが、まだまだたくさんあるのだと思いました。
展覧会のお土産は、図録と、何枚かの気に入りのポストカード、
そして、ROHDIA の展覧会特別仕様のノート。 これ、気に入りました。
友達と、展覧会の余韻に浸りながら、上野の駅のそばの「過門香」さんでランチを頂きました。
友達はこの後会社だとのこと。
ビールは次の機会に (笑)。
初日に行ったのですから、9月19日のこと。
それからずいぶん経ってしまいました。 ^^;
ブログも放置しすぎています。この記事も行って来て半分書いてそのままに・・・orz
11月になって少し余裕ができてくると思うので、少しずつまたブログを書いていきたいと思っています。
今日はこれも久しぶりにコンサート。 大好きなビリスを聴きに行って来ます。
ベートーベンとバッハ、メネシスとのコンサートです。 楽しみ ^^
" 2015/09/19 Claude Mone & Maha Harada"
最近読んだ長谷川等伯とか
その人の生き方や考えを方を良く知ることによって、今までとは違ったように演奏を聴くようになったり、
絵画を見るようになったりすることがあります。
昔読んだ本を読み返したときの、
新たな感慨に耽ったり、新しいことに気が付いたりするのと同じなのかもしれませんが、
感覚で見たり聴いたりするのももちろん大切ですが、経験によってもっともっと深く理解することができることもあるのだと思います。
クロード・モネ、
印象派の中では好きな画家でしたが、
睡蓮と、輪郭がなく光にあふれた作品の偉大な画家と言うくらいの認識でした。
でも・・・、
原田マハさんの「ジヴェルニーの食卓」を読んだときから、クロード・モネのことが頭から離れなくなっていました。
ぼくにとってのフェルメールやルオーと同じように、とても大切な画家になっていました。
それまで感じていた睡蓮や朝の光たちとは違い、一層の輝きと煌めきをカンヴァスから感じるようになっていました。
モネの人となり、その半生、
白内障を患い、最愛の妻や長男や友人たちには先立たれた晩年の悲しみ。その中で自らの最後の大作、睡蓮の壁画に挑む苦悩・・・。
そして、作品の主人公、早くなくなってしまったモネの長男の嫁、ブランシュの義父、モネに対する献身さとその愛おしさ・・・。
上質な作品は読んだ後、日が経つほどに、心の中で静かに発酵していくのですね。
感動は夜の湖の波紋のようにしずかに・・・静かに・・・知らぬ間に心の中に広がっていました。
そんな時、「マンモッタン美術館 モネ展」が開催されることを知ったので、
初日の9月19日に友達を誘って東京都美術館まで出かけてきました。
開館前10分くらいに美術館に着くと、階段の上に長い列が見えてきて、これは大変な混雑の時に来てしまったかな?
一瞬思いましたが、まだ美術館の開館前で門が開いていないせいだと分かり、友達と一安心 (笑)
≪雪の効果、日没 1875年 53×64≫
開館時間になり、10分ほど待ちましたがモネ展初日、
ゆっくり、まったりと楽しんでくることができました。
モネの雪の絵良いなぁ~。
この前オルセー美術館展で見た「カササギ」、とても素敵な絵でしたが、「雪の効果、日没」もとても気に入りました。
寒いのだろうけれど、冬の日の夕方の一瞬をとらえていて、白い雪の上には夕暮れ時の色々な色彩の光が、一日のお別れを言いに舞い降りてきているかのようです。
薄い茜色から、センチメンタルと優しさが伝わって来て、とても気に入りました。
≪霧のヴェトゥイユ 1879年 60×71≫
「霧のヴェトゥイユ」・・・、
モネは最初の奥さんカミーユを病気で亡くしています。最愛の妻、二人の幼い男の子を残して・・・。
この絵が画かれた1879年はカミーユのなくなった年だそうです。
そんなことを知ると「霧のヴェトゥイユ」霧の中からモネの悲しみが湧き上がってくるようで、しばらくこの絵から離れることができませんでした。
感受性の強い優しい人だったのではないかな?
少し離れて霧の景色の中にずっと佇んでいました。
≪印象、日の出 1872年 50×65≫
そして、今回の目玉の一つ。
「印象、日の出」。
展覧会でその絵の周りだけ輝いていたという経験を、ぼくは一度だけ持ったことがあります。
フェルメールの「ミルクを注ぐ女」と展覧会で出会った時だったのですが、
今回、2度目の経験となりました。 綺麗な、静かだけれど暖かい、穏やかな色彩・・・。展覧会の中でここだけがほのかな光を発しているかのようでした。
後景の明るいグレーのシルエット、中央より少し向かって右に上る太陽のピュアなオレンジ色。
画面に奥行きを持たせ、引き締める船頭の操る船の潔い黒色。
ただ、もう何も言えずに近くに寄ったり、少し離れて景色を眺めるように佇んでいたり・・・。ぼくはこの絵に会うのは確か2度目だったと思うのですが、今回、本当に好きになってしまいました。
印象派呼ばれる絵画の活動の名前のルーツ、それだけでもすごい画だと思うけれど、そんなことを抜きにしても、
やはり素敵な、
素敵な絵です。
展覧会には、モネの画いたこんなカリカチュアも(笑)。
展覧会に行くと、画家たちの今まで知らなかった活動をも知ることができて、楽しいですね。
≪睡蓮 1907年 100×73≫
そして、モネの睡蓮たち・・・。
≪睡蓮 1916-1919年 200×180≫
睡蓮の絵たちをこんなにゆっくりと鑑賞したことがなかったのですが、
≪睡蓮 1917-1919 100×300≫
年代別にモネの睡蓮たちを見ていくのはとても興味深かったです。
1926年12月5日になくなるまで、ジヴェルニーの庭で光たちに囲まれながら、睡蓮の絵を画き続けたモネ。
≪しだれ柳 1921-1922 116×89≫
このしだれ柳も、この前の睡蓮も、もう原型は光の中に溶けてなくなって、ただ光だけがそこにはあります。
20世紀の抽象画の先触れの様に言われることがあるようですが、
きっと目を悪くしたモネには、ジヴェルニーの庭の光たちが、このままに見えていたのだと思います。
光を愛し、その一瞬を捉え続けたモネ。
その姿勢は生涯ずっと変わらなかったのだと・・・、そう思います。
10月20日からは、もう一枚の大作が「印象、日の出」に替わって展示されています。
「サン=ラザール駅」。
この絵も見てみたい。 ぼくにとってかがやく3枚目になるかもしれません。
≪ブランシュ・オシュデ・モネ 水辺にて & ソレル=ムセルの家≫
それから、展覧会に行って、とてもうれしいことがありました。
小説の主人公であるブランシュが画いた絵に会うことができました。
小説の中では触れられていませんでしたが、ブランシュもモネの影響なのでしょうか? 絵を何点か残しているようです。
優しく暖かさを感じる2枚の絵と会えたこと・・・とてもうれしく思いました。
原田マハの一冊の小説。
モネとの再会。
大切な本。
12月13日までのモネ展。
もう一度行きたいと思います。サン=ラザール駅、睡蓮たち、そして、ブランシュの絵にももう一度会いたい。
モネという画家を再認識させてくれたきっかけは一冊の本。
やはり色々なことを見たり聴いたり、経験することはとても大切ですね。
この年になっても、新たな出会いが、まだまだたくさんあるのだと思いました。
展覧会のお土産は、図録と、何枚かの気に入りのポストカード、
そして、ROHDIA の展覧会特別仕様のノート。 これ、気に入りました。
友達と、展覧会の余韻に浸りながら、上野の駅のそばの「過門香」さんでランチを頂きました。
友達はこの後会社だとのこと。
ビールは次の機会に (笑)。
初日に行ったのですから、9月19日のこと。
それからずいぶん経ってしまいました。 ^^;
ブログも放置しすぎています。この記事も行って来て半分書いてそのままに・・・orz
11月になって少し余裕ができてくると思うので、少しずつまたブログを書いていきたいと思っています。
今日はこれも久しぶりにコンサート。 大好きなビリスを聴きに行って来ます。
ベートーベンとバッハ、メネシスとのコンサートです。 楽しみ ^^
" 2015/09/19 Claude Mone & Maha Harada"
Rey Camoy 鴨居玲展 踊り候え2_銀座泰明庵:20150620 [展覧会]
鴨居玲展を東京ステーションギャラリーで見たあと街を歩きました。
鴨居玲の思い、作品達に込められた感情を真正面から受け止めてしまったら、
ギャラリーから明るい外に、
たくさんの人のいる街に行きたくなりました。
赤レンガの東京駅から、
出発待ちの観光客でにぎわうはとバスのステーションの横を通って、東京フォーラムのところのJRのガードをくぐり、銀座の方へと向かいました。
銀座は歩行者天国が始まるちょうどそんな頃、
銀座通りには、土曜日の休日の落ち着いて穏やかな時間が流れていました。
のんびり、ゆっくり、それに銀座通りもかなり広いです。
人もそんなにまだいなくて優しい光とやわらかな影が主役。 空も高く見渡せて開放的。
自分の部屋にいるよりもゆっくりとした時間を過ごせます。
土曜の昼の銀座通り、ほこ天のはじまる時間。
穏やかで開放的で、そしてどこかボヘミアンな感じも。
通りに出ているチェアーに座ってしばらく過ごすのも良いかもしれません。
ほこ天を歩く人たち、家族連れ、友達同士、老夫婦etc etc・・・寛だ感じ、それぞれ思い思いに楽しい時間を過ごしている。
人にはこういうところもあるんですよね。
確かに月曜日からまた仕事で大変な方も、また生きていくうえで色々な悩みや苦しみがある方もいるかもしれないけれど、
でもこうやって穏やかに過ごせる時間もあるのだとおもいます。
上手くバランスがとれるといいな。
芸術家は創作をしないといけないから、どこかからそのエネルギーを持ってこないといけなくて、時には負のエネルギーがその大きな源になることもあるのでしよう。
それは身を削りある時には精神をむしばんで゛しまうのだろうな。
それらが真剣であれば真剣である程、その感情が込められていれば込められている程、ぼくらは時空を超えてそれらを真摯に直截的に受け止めるのだと思います。
素晴らしい芸術作品に出会えるのだと。
でも、それらを感じた後には中和が必要です。それだけで暮らしている訳ではないので、普段の心に戻さないと・・・。
明るく空が高くて広い銀座通りを歩きながら、この日見た鴨居玲の展覧会のことを思っていました。
この日はあらかじめ調べておいて新しい蕎麦屋さんに向かったのですが、なんと・・・、
地図を見てたどり着けば「本日お休み」の張り紙が・・・orz。
ならば、いつもの「明月庵ぎんざ田中屋」さんへと向かったのですが、覗いてみるとちょうど昼時で結構な混雑。
結局泰明小学校そばの「泰明庵」さんに行くことにしました。
ここも銀座の老舗の蕎麦屋さんですが、飾らずに混雑していれば相席もというお蕎麦屋さんです。
入り口を開けて覗いてみたら幸運にも一席空いていました。
蕎麦屋巡りでかなり歩いたので、喉が渇きました。キリンラガーを注文。
ふーーっ、ラガーはやはり基本です b^^
乾いた喉にしみわたります。ビールの一杯目は先ず喉で頂きました。
野菜天ざるを注文しました。
大きめの野菜の天ぷらがたくさん付いてきます。 熱々うまうまのこれらを肴にビールをクイクイ。
飲み終わって、蕎麦を頂きます。別に大盛りではないけれど、蕎麦も大盛りに近い量。
喉越し爽やか、蕎麦の香り、美味しくいただきました。
「泰明庵」さん、2階もあって日本酒をゆっくりと頂くこともできるお店です。
銀座にも飾らずにこんなに寛げる昔ながらの蕎麦屋さんもあります。
ビールを一本頂いて、ここの所あまり飲んでいないせいでしょうか?
少し酔っぱらってしまって、良い気持ち(笑)、 空がとっても広くて高くていいな。
お酒もこのくらいの酔い心地が適当で良いのかもしれません。
酔って候う~ !! 笑
「踊り候え」まではいかないけれど、
結局、ぼくら凡人にはこういう時間も大切だなと思います。
酔って、少し千鳥足でふらふらと、
そんな風に歩くことも時には必要だと思います。
久しぶりに大きな感情のパワーのこもった作品達、しかもすべての作品が同種の感情、
そんな作品達に出会った展覧会でした。
ぼけている頭、感情には、たまにはこういう刺激が必要だと思った展覧会。
そうそう、その後での中和作業、美味しいものと少しのアルコールも(笑) !!
そろそろ、ようやく? ヨコハマも梅雨本番です。晴れている日が少なくなってきました。
こんな季節は展覧会とか音楽会とかが良いです。木村伊兵衛関係の写真展や「ニッポンのマンガ*アニメ*ゲーム」展なんてものもあるようです。面白そうなので休みに時間があれば覗きに行ってみようと思っています。
中和作業が必要かは分かりませんが、それもしてこようかと (笑)。
" Rey Camoy & Ginza Taimaean 2015/06/20 "
鴨居玲の思い、作品達に込められた感情を真正面から受け止めてしまったら、
ギャラリーから明るい外に、
たくさんの人のいる街に行きたくなりました。
赤レンガの東京駅から、
出発待ちの観光客でにぎわうはとバスのステーションの横を通って、東京フォーラムのところのJRのガードをくぐり、銀座の方へと向かいました。
銀座は歩行者天国が始まるちょうどそんな頃、
銀座通りには、土曜日の休日の落ち着いて穏やかな時間が流れていました。
のんびり、ゆっくり、それに銀座通りもかなり広いです。
人もそんなにまだいなくて優しい光とやわらかな影が主役。 空も高く見渡せて開放的。
自分の部屋にいるよりもゆっくりとした時間を過ごせます。
土曜の昼の銀座通り、ほこ天のはじまる時間。
穏やかで開放的で、そしてどこかボヘミアンな感じも。
通りに出ているチェアーに座ってしばらく過ごすのも良いかもしれません。
ほこ天を歩く人たち、家族連れ、友達同士、老夫婦etc etc・・・寛だ感じ、それぞれ思い思いに楽しい時間を過ごしている。
人にはこういうところもあるんですよね。
確かに月曜日からまた仕事で大変な方も、また生きていくうえで色々な悩みや苦しみがある方もいるかもしれないけれど、
でもこうやって穏やかに過ごせる時間もあるのだとおもいます。
上手くバランスがとれるといいな。
芸術家は創作をしないといけないから、どこかからそのエネルギーを持ってこないといけなくて、時には負のエネルギーがその大きな源になることもあるのでしよう。
それは身を削りある時には精神をむしばんで゛しまうのだろうな。
それらが真剣であれば真剣である程、その感情が込められていれば込められている程、ぼくらは時空を超えてそれらを真摯に直截的に受け止めるのだと思います。
素晴らしい芸術作品に出会えるのだと。
でも、それらを感じた後には中和が必要です。それだけで暮らしている訳ではないので、普段の心に戻さないと・・・。
明るく空が高くて広い銀座通りを歩きながら、この日見た鴨居玲の展覧会のことを思っていました。
この日はあらかじめ調べておいて新しい蕎麦屋さんに向かったのですが、なんと・・・、
地図を見てたどり着けば「本日お休み」の張り紙が・・・orz。
ならば、いつもの「明月庵ぎんざ田中屋」さんへと向かったのですが、覗いてみるとちょうど昼時で結構な混雑。
結局泰明小学校そばの「泰明庵」さんに行くことにしました。
ここも銀座の老舗の蕎麦屋さんですが、飾らずに混雑していれば相席もというお蕎麦屋さんです。
入り口を開けて覗いてみたら幸運にも一席空いていました。
蕎麦屋巡りでかなり歩いたので、喉が渇きました。キリンラガーを注文。
ふーーっ、ラガーはやはり基本です b^^
乾いた喉にしみわたります。ビールの一杯目は先ず喉で頂きました。
野菜天ざるを注文しました。
大きめの野菜の天ぷらがたくさん付いてきます。 熱々うまうまのこれらを肴にビールをクイクイ。
飲み終わって、蕎麦を頂きます。別に大盛りではないけれど、蕎麦も大盛りに近い量。
喉越し爽やか、蕎麦の香り、美味しくいただきました。
「泰明庵」さん、2階もあって日本酒をゆっくりと頂くこともできるお店です。
銀座にも飾らずにこんなに寛げる昔ながらの蕎麦屋さんもあります。
ビールを一本頂いて、ここの所あまり飲んでいないせいでしょうか?
少し酔っぱらってしまって、良い気持ち(笑)、 空がとっても広くて高くていいな。
お酒もこのくらいの酔い心地が適当で良いのかもしれません。
酔って候う~ !! 笑
「踊り候え」まではいかないけれど、
結局、ぼくら凡人にはこういう時間も大切だなと思います。
酔って、少し千鳥足でふらふらと、
そんな風に歩くことも時には必要だと思います。
久しぶりに大きな感情のパワーのこもった作品達、しかもすべての作品が同種の感情、
そんな作品達に出会った展覧会でした。
ぼけている頭、感情には、たまにはこういう刺激が必要だと思った展覧会。
そうそう、その後での中和作業、美味しいものと少しのアルコールも(笑) !!
そろそろ、ようやく? ヨコハマも梅雨本番です。晴れている日が少なくなってきました。
こんな季節は展覧会とか音楽会とかが良いです。木村伊兵衛関係の写真展や「ニッポンのマンガ*アニメ*ゲーム」展なんてものもあるようです。面白そうなので休みに時間があれば覗きに行ってみようと思っています。
中和作業が必要かは分かりませんが、それもしてこようかと (笑)。
" Rey Camoy & Ginza Taimaean 2015/06/20 "
Rey Camoy 鴨居玲展 踊り候え:20150620 [展覧会]
梅雨には入っていましたが、朝から青い空、良い天気。
開館時間は10時からでしたが、しばらくぶりに休日の「丸の内仲通り」の散歩を楽しもうかと、6月20日の土曜日8時半頃に家を出ました。
じぶんの気に入りの三つの通り、吉祥寺中道通り、元町仲通り、そして丸の内仲通り。
丸の内仲通りは人通りが少ない休日の朝の表情が特に好きです。
通りのすっぴんの輪郭、石畳や、やわらかな木漏れ日、緑の葉っぱやビルの窓ガラスの上できらきらと輝く光の粒子達とも、気兼ねなくのんびりシンクロすることができます。
普段は急ぎ足で通り過ぎてしまう、お店のショーウインドウの中を覗くのも楽しい。
ゆっくりカメラをぶら下げて歩けば、ファインダー越し、
可愛い白猫、カラフルな街並みや、その上を飛んでいくメガネとスニーカーにも会うことができます (笑)。
いつもの様にエシレの前では焼き立てのクロワッサンを求める人の列。
エシレのクロワッサンは値段高めですがバターたっぷりでサクサク、とても美味しいので大好きです。
並びたいのはやまやまですが、この日は展覧会なので、がまんがまん。
そろそろ、飲食店も開店の準備を始める頃、東京駅に戻らないと。
" Rey Camoy 歿後30年 鴨居玲展 踊り候え " 、初めて訪れた東京ステーションギャラリーです。
ネットや書籍等で時折り見かけることがあった、決してきれいではなく暗いけれどなぜか気になる作品と鴨居玲と言う名前。玲と言う名前から女性なのかもしれない等と思っていましたが・・・、
≪夜<自画像> 1947年 笠間日動美術館≫ この絵に先ずショックを受けました。はじめからカウンターのストレートです。
JRの中吊り広告で、その鴨居玲の没後30年と北陸新幹線の開通の記念として(鴨居玲は金沢生れの画家です)
" Rey Camoy 歿後30年 鴨居玲 踊り候え " 展が開催されているのを知りました。
これは絶対に行かねばと。
≪赤い老人 1963年 石川県立美術館≫
東京駅の丸の内北口改札を出てすぐのところの東京ステーションギャラリーも僕にとっては初めての美術館。
初めての画家との出会いは初めての美術館です。
鴨居玲の作品を展示するには、少し朽ちかけた赤レンガの風味はとても似合っているかもしれないと思いました。
≪静止した刻 1968年 東京国立近代美術館≫ 安井賞受賞作
鴨居玲、、1928年2月3日生まれ 1985年9月7日没。
1927年10月3日大阪で生まれたとの説もあり、出生届も出されていなかったとのこと。出生地と誕生の日も定かではないなんて ミステリアスな画家です。
金沢、ソウルで小学校時代を過ごしてその後大阪で関西学院中等部入学。再び金沢へ転居し金沢美術工芸専門学校に入学して宮本三郎の教えを受けます。
神戸を中心として活動し1969年具象絵画の登竜門である安井賞を受賞して本格的な画家としての活動がスタート。
その後もパリ、南米、そしてスペインに長期滞在しての画業を続けました。
短い57年の生涯で、何かを求め何かを探し、自身とは、その存在の訳等を知るためのボヘミアンの様な行動。求道者の様にも、自分探しの生涯の様にも、一点一点の作品を見ながら、解説を読みながらそんな風に感じました。
≪おばあさん(B) 1973年 石川県立美術館≫ 不謹慎?パッと見てスターウォーズのダースモールを連想してしまいました。
モチーフは、老人、酔っ払い、道化師、老婆等、いわゆる社会的弱者がほとんどで、人間以外の作品はとても少ない。
静物画とか風景画とかは一切ありませんでした。
≪勲章 1985年 笠間日動美術館≫
しかも、描かれたものたちには目が描かれていません。眼を閉じているか眼窩の影が黒っぽく描かれているかです。
眼はその人の個性や性格等を一番表すもの。
眼を見ることができないと個人を特定するのが難しくなります。鴨居玲は仏像の様なものと語っているようですが、彼の作品の一番の特色かと。
≪出を待つ道化師 1984年≫ 老人も酔っ払いも、廃兵も、自画像もほぼ同じポーズ。人間の他にはほとんど描かない鴨居玲。その中でも画く対象は特定のものだけ。
眼がないと特定性がなくなり一般性が高まります。カテゴリーとしての人物、老人、酔っ払いと言う意味合いがよけい強くなって、客観性の代わりに普遍性が増してくるのかもしれません。
そして、その皮袋の中には彼が、鴨居玲が、
ナルシストで我儘でとても神経質なそのままの鴨居玲が存在している・・・。そんな風に感じました。
死を恐れ、でもその中に安らぎを見て、矛盾の中混沌の中の安らぎに惹かれている。
鴨居玲の作品はその思いを、これも内面的な必然性により、キャンバスにパフォーマンスをせざるを得なかった、
魂からの叫び、そんな風に感じました。
生との葛藤、とても個人的な、ためにとても苦痛な逃げどころのない葛藤。時にシリアスに時に滑稽さを伴って、じぶんの心にひしひしと迫ってきました。画きはじめてから絶筆までの作品を見させてもらってとても刺激を受けました。
≪蛾 1967年≫
ただ、それなら自分の部屋にこれらの油彩画を飾れるのかと尋ねられると、それは・・・と考えてしまいます。
始終、これらの絵に取り囲まれて暮らすのは苦しいかもしれない。
≪アコーディオン 1974年≫
鴨居玲展、デッサンもたくさん展示されていました。
≪長谷川智恵子像 1975年≫
ぼくはこちらがより好きかもしれない。
油彩画を見ての疲れの様な感覚はあまり感じないです。
タッチの軽さ、フォルムとモチーフに優しさのようなものが感じられます。
≪道化師 1984年≫
これらなら、部屋に飾っておいても大丈夫かもしれません。
何回も自殺未遂を繰り返し、その最後も本当は死ぬ気ではなかったのかもしれないと、長年付き合ってきた知人が回想しています。真相は分かりませんが、内面をこのように描くことが鴨居玲のパフォーマンスの方法だとすると、早晩画けなくなったのではないかと思います。
全く違うもの、風景や静物、特定の人、自分ではないもの。それらを画くことに欲求が向かなければ・・・。
ある意味画くものを画ききってしまったのかもしれません。
2時間近くゆっくりと鴨居玲の作品達と語り合ってきました。
刺激をたくさん受け、きっと苦しかったんだろうなと思い、正直デッサンがあって良かったこと、そして、
展示室を出て少しホッとしました。
はじめてだったから、よけいかな?
まだまだ不足していますが、自分なりの咀嚼は少しできたので、作品達に今度会えばもう少しは冷静にもう少し深く話せるのかもしれません。
はじめての鴨居玲、はじめての東京ステーションギャラリー、期待通りのとても刺激を受けた展覧会でした。
また、気になる画家が一人増えてしまいました。
美術館から出ると外は良い天気です。
何となく、人のたくさんいるところへ行きたくなりました。
カメラも持ってきたので、東京、銀座界隈の散歩と、お腹も減ったので蕎麦を食べに行くことにしましたが、長くなるので、
別に書くことにします。
" Rey Camoy 2015/06/20 "
開館時間は10時からでしたが、しばらくぶりに休日の「丸の内仲通り」の散歩を楽しもうかと、6月20日の土曜日8時半頃に家を出ました。
じぶんの気に入りの三つの通り、吉祥寺中道通り、元町仲通り、そして丸の内仲通り。
丸の内仲通りは人通りが少ない休日の朝の表情が特に好きです。
通りのすっぴんの輪郭、石畳や、やわらかな木漏れ日、緑の葉っぱやビルの窓ガラスの上できらきらと輝く光の粒子達とも、気兼ねなくのんびりシンクロすることができます。
普段は急ぎ足で通り過ぎてしまう、お店のショーウインドウの中を覗くのも楽しい。
ゆっくりカメラをぶら下げて歩けば、ファインダー越し、
可愛い白猫、カラフルな街並みや、その上を飛んでいくメガネとスニーカーにも会うことができます (笑)。
いつもの様にエシレの前では焼き立てのクロワッサンを求める人の列。
エシレのクロワッサンは値段高めですがバターたっぷりでサクサク、とても美味しいので大好きです。
並びたいのはやまやまですが、この日は展覧会なので、がまんがまん。
そろそろ、飲食店も開店の準備を始める頃、東京駅に戻らないと。
" Rey Camoy 歿後30年 鴨居玲展 踊り候え " 、初めて訪れた東京ステーションギャラリーです。
ネットや書籍等で時折り見かけることがあった、決してきれいではなく暗いけれどなぜか気になる作品と鴨居玲と言う名前。玲と言う名前から女性なのかもしれない等と思っていましたが・・・、
≪夜<自画像> 1947年 笠間日動美術館≫ この絵に先ずショックを受けました。はじめからカウンターのストレートです。
JRの中吊り広告で、その鴨居玲の没後30年と北陸新幹線の開通の記念として(鴨居玲は金沢生れの画家です)
" Rey Camoy 歿後30年 鴨居玲 踊り候え " 展が開催されているのを知りました。
これは絶対に行かねばと。
≪赤い老人 1963年 石川県立美術館≫
東京駅の丸の内北口改札を出てすぐのところの東京ステーションギャラリーも僕にとっては初めての美術館。
初めての画家との出会いは初めての美術館です。
鴨居玲の作品を展示するには、少し朽ちかけた赤レンガの風味はとても似合っているかもしれないと思いました。
≪静止した刻 1968年 東京国立近代美術館≫ 安井賞受賞作
鴨居玲、、1928年2月3日生まれ 1985年9月7日没。
1927年10月3日大阪で生まれたとの説もあり、出生届も出されていなかったとのこと。出生地と誕生の日も定かではないなんて ミステリアスな画家です。
金沢、ソウルで小学校時代を過ごしてその後大阪で関西学院中等部入学。再び金沢へ転居し金沢美術工芸専門学校に入学して宮本三郎の教えを受けます。
神戸を中心として活動し1969年具象絵画の登竜門である安井賞を受賞して本格的な画家としての活動がスタート。
その後もパリ、南米、そしてスペインに長期滞在しての画業を続けました。
短い57年の生涯で、何かを求め何かを探し、自身とは、その存在の訳等を知るためのボヘミアンの様な行動。求道者の様にも、自分探しの生涯の様にも、一点一点の作品を見ながら、解説を読みながらそんな風に感じました。
≪おばあさん(B) 1973年 石川県立美術館≫ 不謹慎?パッと見てスターウォーズのダースモールを連想してしまいました。
モチーフは、老人、酔っ払い、道化師、老婆等、いわゆる社会的弱者がほとんどで、人間以外の作品はとても少ない。
静物画とか風景画とかは一切ありませんでした。
≪勲章 1985年 笠間日動美術館≫
しかも、描かれたものたちには目が描かれていません。眼を閉じているか眼窩の影が黒っぽく描かれているかです。
眼はその人の個性や性格等を一番表すもの。
眼を見ることができないと個人を特定するのが難しくなります。鴨居玲は仏像の様なものと語っているようですが、彼の作品の一番の特色かと。
≪出を待つ道化師 1984年≫ 老人も酔っ払いも、廃兵も、自画像もほぼ同じポーズ。人間の他にはほとんど描かない鴨居玲。その中でも画く対象は特定のものだけ。
眼がないと特定性がなくなり一般性が高まります。カテゴリーとしての人物、老人、酔っ払いと言う意味合いがよけい強くなって、客観性の代わりに普遍性が増してくるのかもしれません。
そして、その皮袋の中には彼が、鴨居玲が、
ナルシストで我儘でとても神経質なそのままの鴨居玲が存在している・・・。そんな風に感じました。
死を恐れ、でもその中に安らぎを見て、矛盾の中混沌の中の安らぎに惹かれている。
鴨居玲の作品はその思いを、これも内面的な必然性により、キャンバスにパフォーマンスをせざるを得なかった、
魂からの叫び、そんな風に感じました。
生との葛藤、とても個人的な、ためにとても苦痛な逃げどころのない葛藤。時にシリアスに時に滑稽さを伴って、じぶんの心にひしひしと迫ってきました。画きはじめてから絶筆までの作品を見させてもらってとても刺激を受けました。
≪蛾 1967年≫
ただ、それなら自分の部屋にこれらの油彩画を飾れるのかと尋ねられると、それは・・・と考えてしまいます。
始終、これらの絵に取り囲まれて暮らすのは苦しいかもしれない。
≪アコーディオン 1974年≫
鴨居玲展、デッサンもたくさん展示されていました。
≪長谷川智恵子像 1975年≫
ぼくはこちらがより好きかもしれない。
油彩画を見ての疲れの様な感覚はあまり感じないです。
タッチの軽さ、フォルムとモチーフに優しさのようなものが感じられます。
≪道化師 1984年≫
これらなら、部屋に飾っておいても大丈夫かもしれません。
何回も自殺未遂を繰り返し、その最後も本当は死ぬ気ではなかったのかもしれないと、長年付き合ってきた知人が回想しています。真相は分かりませんが、内面をこのように描くことが鴨居玲のパフォーマンスの方法だとすると、早晩画けなくなったのではないかと思います。
全く違うもの、風景や静物、特定の人、自分ではないもの。それらを画くことに欲求が向かなければ・・・。
ある意味画くものを画ききってしまったのかもしれません。
2時間近くゆっくりと鴨居玲の作品達と語り合ってきました。
刺激をたくさん受け、きっと苦しかったんだろうなと思い、正直デッサンがあって良かったこと、そして、
展示室を出て少しホッとしました。
はじめてだったから、よけいかな?
まだまだ不足していますが、自分なりの咀嚼は少しできたので、作品達に今度会えばもう少しは冷静にもう少し深く話せるのかもしれません。
はじめての鴨居玲、はじめての東京ステーションギャラリー、期待通りのとても刺激を受けた展覧会でした。
また、気になる画家が一人増えてしまいました。
美術館から出ると外は良い天気です。
何となく、人のたくさんいるところへ行きたくなりました。
カメラも持ってきたので、東京、銀座界隈の散歩と、お腹も減ったので蕎麦を食べに行くことにしましたが、長くなるので、
別に書くことにします。
" Rey Camoy 2015/06/20 "
エロール・ル・カイン展に行って来ました:20150505 [展覧会]
" ミャミャーン、クルリン !! "
" 不思議な 不思議な ミスター・ミストフェリーズ "
展覧会を見て大好きになってしまったキャラクター、ミスター・ミストフェリーズとの出会い。
横浜そごうで開催されていた、「エロール・ル・カインの魔術展」に5月の連休に行って来ました。
もっと早くブログに残しておこうと思っていたのですが、エロール・ル・カインのことも作品のことも全然知らなかったので少し時間がかかりましたが、ようやく? とりあえず? 5月の内に。
素敵なキャラクター、
そしてそれを生み出した「イメージの魔術師」エロール・ル・カインと出会わせてくれた娘にも感謝です。
展覧会の券は娘が学校からもらってきてくれたもの。娘に連れられて? 5月5日に横浜のそごうに出かけました。
エロール・ル・カイン、まったく知らない絵本作家でしたが、
美術館の入り口でポスター、ディスプレイの「キューピットとプシケー」を見てその世界に引き込まれました。
白黒のデフォルメされデザインされたギリシア風の人物に、じぶんの好きなビアズリーのDNA を垣間見たからです。
素晴らしい作家にめぐり会えたのかもしれないと期待を膨らませながら展示室へ。
≪キューピッドとプシケー≫
エロール・ル・カイン、「イメージの魔術師」、
≪雪の女王≫
ビアズリー風の作品だけでなく、東洋風のものアラビア風のもの西洋風のもの、和的なもの等、それぞれの作品のイメージに合わせて作品を生み出していきます。
≪竹取物語≫
物語のイメージに合わせて、イラスト、挿絵のイメージがどんどん膨らんでいくのでしょう。
作品の多様性に、一様でないことに驚きました。
≪アラジンと魔法のランプ≫
普通、画家等には独特の作風、描き方があって、初めて会う作品であっても僕たちはそれによりその作品が彼らのものであることを知ります。
≪アーサー王の剣≫
作品を見て誰の作品かがある程度分かります。
例えば、いわさきちひろ、安野光雅等は一目見ればたいてい分かりますし、アニメやイラストもそうですよね。
≪1981年 日本の子供たちにカインが画いたクリスマスの絵≫
それがエロール・ル・カインは違う。
もちろん、何枚も見ているとどの絵も、線のシャープさや色彩とフォルムのお洒落なところ、装飾的な面の使い方、登場する人物の表情等に共通するところがあるのが分かってはきますが、
ある時は東洋の画家のように、ある時はアラビア生まれのイラストレーターのように、そしてある時はディズニーのアニメーターのように・・・、
様々な作風によりイメージの魔法をぼくらに見せてくれます。
≪キャッツ ボス猫・グロウルタイガー絶体絶命≫
展覧会から帰って来て、もっとル・カインのことを知りたくなりました。
少し調べてみると、
あの、「ちびまるこ」のさくらももこがエロール・ル・カインのことがとても好きで、本まで書いていることを知り、早速Amazon に注文しました。
高校2年生の時に本屋で、エロール・ル・カインの「おどる12人のおひめさま」と出会いそれ以来ずっとのファンであったこと、
その出会いにより、漫画家と言う道を選んだのかもしれないことetc etc ・・・、
そして、さくらももこの「憧れのまほうつかい」というこのエッセイが、日本においてエロール・ル・カインを広く知らせることになったきっかけであるらしいことを知りました。
≪憧れのまほうつかい おどる12人のおひめさま挿絵≫
エロール・ル・カイン( Errol Le Cain ) 1941年3月5日〜1989年1月3日、ヨーロッパ人とアジア人の両親のもとにシンガポールで生まれたこと。
47歳という若さで妻と二人の子供を残して癌のためにイングランドで亡くなったこと等も。
そして、どうしてもこの絵本も欲しくなって
マウスをクリックしました。
「魔術師キャッツ」。
ミャミャーン、クルリン !
不思議なミスター・ミストフェリーズ !
展覧会でもこのミスター・ミストフェリーズの1m位のキャラクターが作られ展示されていました。
とても良くできていて写真を撮りたくなるほどでした。
この「魔術師キャッツ」や「キャッツ ボス猫・グロウルタイガー絶体絶命」は、詩人T.S.エリオットが書いた原詩から
エロール・ル・カインが選んで絵本化したものです。
T.S.エリオットの詩は、ミュージカル「キャッツ」の原詩でもあります。
そして、「魔術師キャッツ」がエロール・ル・カインの最後の作品だとのこと。
47歳はあまりにも若すぎますね・・・。 健在なら、もっともっと素敵な作品を画いてくれていたでしょうし、
もしかすると、ミスター・ミストフェリーズはエロール・ル・カインが生んだ有名なキャラクターになっていたかもしれません。
アニメ化されたりなども・・・。
今回の展覧会で展示されていた作品の多くは「えほんミュージアム清里」から貸し出されたもので、絵本ミュージアム清里には、エロール・ル・カインの作品が150点ほど収蔵されているとか。
我が国にそんなにたくさん、まとまった作品があるのはうれしいことです。清里に行けばいつでもエロール・ル・カインの直筆の作品達に会うことができます。
そうそう、えほんミュージアム清里にこれだけまとまって収蔵されているのは、館長の渋谷氏が集めたものなのですが、
そのことについても、さくらももこの「憧れのまほうつかい」に書かれていました。
なんでも、エロール・ル・カインの奥さんが旦那さんの能力とか作品の価値が分からない悪妻で? 彼の死後に二束三文で作品達を売却しようとしていたこと。
渋谷氏がそれを惜しんでまとめて買ったこと。それ以外にも遺族を色々と援助したことetc etc ・・・。
ちなみに、世界三大悪妻は、
ソクラテスの妻クサンティッペ、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの妻コンスタンツェ、レフ・トルストイの妻のソフィア・アンドレエヴナとのことです。
ほんとうにエロール・ル・カインの奥さんが悪妻かどうかは分からないけれど、でも、きっとこんなに素晴らしい作品を残しはしたけれど、生活はそれほど楽なものではなかったのかもしれないなと思いました。
娘に連れられ、ランチのついでの時間つぶしくらいに思って出かけた「エロール・ル・カインの魔術展」、とても刺激を受けた展覧会になりました。
きっと、
気が付いたら、ル・カインの絵本がもっと増殖しているのだと思います (笑)。
デパートの美術館、昔はそれなりに出かけたのですが、最近は足が遠のいていました。そごう美術館は近いし、こんな小洒落た展覧会も開催されているなら時々チェックしないといけないと思いました。
PS. 生まれて初めて短期間ですが病院のベットにお世話になりました。 検査の結果の処置なのでたぶん心配はないものの、初めての経験で色々と興味深いものがありました。
何より、ベットに寝ていると、うとうととして色々なことが頭の中を夢なのか現実なのか分からない様にぐるぐる。
今までのこととこれからのことと、時間と言うリソースのこととetc etc ・・・。
月も替わるし、また、
仕事もその他も頑張ろうと思います。
" 2015/05/05 Errol Le Cain "
" 不思議な 不思議な ミスター・ミストフェリーズ "
展覧会を見て大好きになってしまったキャラクター、ミスター・ミストフェリーズとの出会い。
横浜そごうで開催されていた、「エロール・ル・カインの魔術展」に5月の連休に行って来ました。
もっと早くブログに残しておこうと思っていたのですが、エロール・ル・カインのことも作品のことも全然知らなかったので少し時間がかかりましたが、ようやく? とりあえず? 5月の内に。
素敵なキャラクター、
そしてそれを生み出した「イメージの魔術師」エロール・ル・カインと出会わせてくれた娘にも感謝です。
展覧会の券は娘が学校からもらってきてくれたもの。娘に連れられて? 5月5日に横浜のそごうに出かけました。
エロール・ル・カイン、まったく知らない絵本作家でしたが、
美術館の入り口でポスター、ディスプレイの「キューピットとプシケー」を見てその世界に引き込まれました。
白黒のデフォルメされデザインされたギリシア風の人物に、じぶんの好きなビアズリーのDNA を垣間見たからです。
素晴らしい作家にめぐり会えたのかもしれないと期待を膨らませながら展示室へ。
≪キューピッドとプシケー≫
エロール・ル・カイン、「イメージの魔術師」、
≪雪の女王≫
ビアズリー風の作品だけでなく、東洋風のものアラビア風のもの西洋風のもの、和的なもの等、それぞれの作品のイメージに合わせて作品を生み出していきます。
≪竹取物語≫
物語のイメージに合わせて、イラスト、挿絵のイメージがどんどん膨らんでいくのでしょう。
作品の多様性に、一様でないことに驚きました。
≪アラジンと魔法のランプ≫
普通、画家等には独特の作風、描き方があって、初めて会う作品であっても僕たちはそれによりその作品が彼らのものであることを知ります。
≪アーサー王の剣≫
作品を見て誰の作品かがある程度分かります。
例えば、いわさきちひろ、安野光雅等は一目見ればたいてい分かりますし、アニメやイラストもそうですよね。
≪1981年 日本の子供たちにカインが画いたクリスマスの絵≫
それがエロール・ル・カインは違う。
もちろん、何枚も見ているとどの絵も、線のシャープさや色彩とフォルムのお洒落なところ、装飾的な面の使い方、登場する人物の表情等に共通するところがあるのが分かってはきますが、
ある時は東洋の画家のように、ある時はアラビア生まれのイラストレーターのように、そしてある時はディズニーのアニメーターのように・・・、
様々な作風によりイメージの魔法をぼくらに見せてくれます。
≪キャッツ ボス猫・グロウルタイガー絶体絶命≫
展覧会から帰って来て、もっとル・カインのことを知りたくなりました。
少し調べてみると、
あの、「ちびまるこ」のさくらももこがエロール・ル・カインのことがとても好きで、本まで書いていることを知り、早速Amazon に注文しました。
高校2年生の時に本屋で、エロール・ル・カインの「おどる12人のおひめさま」と出会いそれ以来ずっとのファンであったこと、
その出会いにより、漫画家と言う道を選んだのかもしれないことetc etc ・・・、
そして、さくらももこの「憧れのまほうつかい」というこのエッセイが、日本においてエロール・ル・カインを広く知らせることになったきっかけであるらしいことを知りました。
≪憧れのまほうつかい おどる12人のおひめさま挿絵≫
エロール・ル・カイン( Errol Le Cain ) 1941年3月5日〜1989年1月3日、ヨーロッパ人とアジア人の両親のもとにシンガポールで生まれたこと。
47歳という若さで妻と二人の子供を残して癌のためにイングランドで亡くなったこと等も。
そして、どうしてもこの絵本も欲しくなって
マウスをクリックしました。
「魔術師キャッツ」。
ミャミャーン、クルリン !
不思議なミスター・ミストフェリーズ !
展覧会でもこのミスター・ミストフェリーズの1m位のキャラクターが作られ展示されていました。
とても良くできていて写真を撮りたくなるほどでした。
この「魔術師キャッツ」や「キャッツ ボス猫・グロウルタイガー絶体絶命」は、詩人T.S.エリオットが書いた原詩から
エロール・ル・カインが選んで絵本化したものです。
T.S.エリオットの詩は、ミュージカル「キャッツ」の原詩でもあります。
そして、「魔術師キャッツ」がエロール・ル・カインの最後の作品だとのこと。
47歳はあまりにも若すぎますね・・・。 健在なら、もっともっと素敵な作品を画いてくれていたでしょうし、
もしかすると、ミスター・ミストフェリーズはエロール・ル・カインが生んだ有名なキャラクターになっていたかもしれません。
アニメ化されたりなども・・・。
今回の展覧会で展示されていた作品の多くは「えほんミュージアム清里」から貸し出されたもので、絵本ミュージアム清里には、エロール・ル・カインの作品が150点ほど収蔵されているとか。
我が国にそんなにたくさん、まとまった作品があるのはうれしいことです。清里に行けばいつでもエロール・ル・カインの直筆の作品達に会うことができます。
そうそう、えほんミュージアム清里にこれだけまとまって収蔵されているのは、館長の渋谷氏が集めたものなのですが、
そのことについても、さくらももこの「憧れのまほうつかい」に書かれていました。
なんでも、エロール・ル・カインの奥さんが旦那さんの能力とか作品の価値が分からない悪妻で? 彼の死後に二束三文で作品達を売却しようとしていたこと。
渋谷氏がそれを惜しんでまとめて買ったこと。それ以外にも遺族を色々と援助したことetc etc ・・・。
ちなみに、世界三大悪妻は、
ソクラテスの妻クサンティッペ、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの妻コンスタンツェ、レフ・トルストイの妻のソフィア・アンドレエヴナとのことです。
ほんとうにエロール・ル・カインの奥さんが悪妻かどうかは分からないけれど、でも、きっとこんなに素晴らしい作品を残しはしたけれど、生活はそれほど楽なものではなかったのかもしれないなと思いました。
娘に連れられ、ランチのついでの時間つぶしくらいに思って出かけた「エロール・ル・カインの魔術展」、とても刺激を受けた展覧会になりました。
きっと、
気が付いたら、ル・カインの絵本がもっと増殖しているのだと思います (笑)。
デパートの美術館、昔はそれなりに出かけたのですが、最近は足が遠のいていました。そごう美術館は近いし、こんな小洒落た展覧会も開催されているなら時々チェックしないといけないと思いました。
PS. 生まれて初めて短期間ですが病院のベットにお世話になりました。 検査の結果の処置なのでたぶん心配はないものの、初めての経験で色々と興味深いものがありました。
何より、ベットに寝ていると、うとうととして色々なことが頭の中を夢なのか現実なのか分からない様にぐるぐる。
今までのこととこれからのことと、時間と言うリソースのこととetc etc ・・・。
月も替わるし、また、
仕事もその他も頑張ろうと思います。
" 2015/05/05 Errol Le Cain "