盛岡城跡公園の紅葉:20171028 [訪れたところ色々]
長野では手打ちそば、長崎ではちゃんぽん、高松は讃岐うどんで、大宮ではナポリタン。 笑
(日本には本当に色々な麺文化があるんですね)
今年も色々な街で、色々な出会い、そして、定番の麺類を頂いています。
あいかわらずバタバタとしていて、なかなかブログも書けずにいるのですが、ようやく11月になって少し天気は
落ち着いてきたようです。青い空が続くと精神状態にも良いかもしれません。
10月の横浜は雨模様の日が多かったです。
正直、仕事であちこちに行って来ると、休みの日は俄かインドア派になっています。
誰とも会わずに、CD と本とが友達。 「 PLEASE DON'T DISTURB 」。
ビールとワインで過ごしたくなるので、雨が降るお休みも良いのかな ?
10月の終わり、
10月の26日と27日も盛岡に行ってきました。
盛岡はじぶんにとって、大切な街。
分身の様に思っていた親友が最後に暮らしていた街です。
入院してからも、何度か訪れて最後の時間を少しですが一緒に過ごした街。
病院の窓からあいつの肩越しに眺めた岩手山。
あいつの好きな景色でした。
この日も秋晴れの良い天気、開運橋からの岩手山はあの時と同じ。
仕事を済ませ、帰りの「はやぶさ」の時間までには2時間弱くらいありました。
早い時間の新幹線に替えようと思ったら、週末のせいでしょうか、
東京までの指定席は全部売り切れ。来る前に買って来て正解ではありました。そうであればと、
駅から、開運橋を渡って、何度か来た開運橋通りを真っ直ぐに歩いていきます。
北国の空気は澄み切っていて、やはり横浜とは違うな。
色彩がくっきり鮮明、鮮やかに目に飛び噛んできます。
そして、今年も盛岡城跡公園の紅葉たちに会うことができました。
石垣の上の紅葉は、高い青空に向かって真っ赤な炎を燃え上がらせているかのようでした。
10月の下旬なので紅葉には少し早いのかと、開運橋通りを歩きながら思いましたが、
早いなどということはなく、
盛岡の紅葉を味わうにはちょうど良かったのだと思います。
まだ染まりかけの葉っぱもありましたが、
もう落ちているもの、枝に掴ってはいるものの傷んできているものもありましたから、
良い時に来ることができたのだと思います。
夕方に差し掛かる頃、
太陽が斜めになって、色彩を幾分オレンジ系統に変えて行く頃、
黄色、赤、オレンジ等、暖色系のグラデーションのもみじたち、銀杏の葉っぱたちは
この公園全体を燃やしているかのよう。
葉っぱの下のものは、ベンチも、白い犬も、見上げる女性たちも、みんなみんな、
暖かな色彩に変えてしまいます。
爽やかな北国の大気と光と長く伸びた影、
青い空にもみじとイチョウの葉っぱたちはくっきり。
「きれいだな」
空を見上げていました…。
人は、一瞬のじぶんの時間を通り過ぎていってしまいます。
長くても短くても、それがじぶんの一瞬の時間。
残された者は代わりに心の中に開いた傷を持ち、
時だけが、心の傷のエッジを幾分丸くはしてくれて、
少しずつ痛みを和らげてくれるのだと思います。
先に行ったものは、ときが止まってしまうけれど、残されたものたちの心の中にずっと生き続けていて、
ぼくらが思い出すとともに、こうして帰って来てくれるのだなと。
少女が落ち葉を踏みながら笑顔で遊びまわります。
斜めの光に照らされて、あずまやの女性も誰かのことを思い出しているのでしょうか。
みんなそれぞれの時間、一瞬の時間の中。
それを繰り返しているのかもしれないな。
葉っぱたちは散る前の一瞬の輝きを、ぼくたちに見せてくれます。
思い出す心と、
不思議な懐かしさの光と通り過ぎる風の刹那に、
風の中に、ふと、
あいつの声。
声も口癖もみんな覚えています。
ここに来ると、もみじたちの燃えるような色彩の中で、ひさしぶりに話すことができるような、
そんな感じが。
あと何度、ここに来れるか分からないけれど、
一瞬の時間の中で、また色々なことを話しに来るから…。
来年も燃えるようなもみじたちの木の下で、秋の真っ青な空を眺めたいと思いました。
だいぶ丸くなった心のエッジを夕方の光がそっと撫でる頃、
来年の再開を約して。
だいぶ長居をしてしまって、でも、
無事に「はやぶさ」に乗って帰って来ました。
盛岡、やはりじぶんにとって大切な街です。
そんなに時間はなかったけれど、
盛岡の後輩たちと、三陸の美味しい海の幸、
それから、ここに来るとどうしても食べたくなってしまう、
柳家さんの「納豆キムチラーメン」も頂いてきました。
ジャジャメン、冷麺、わんこそばが盛岡の三大麺なのだそうですが、
じぶんは、是非、この納豆キムチをその中に入れたいなと ^^;
" 2017/10/27 Morioka Shiroato Park & Autumn leaves "
(日本には本当に色々な麺文化があるんですね)
今年も色々な街で、色々な出会い、そして、定番の麺類を頂いています。
あいかわらずバタバタとしていて、なかなかブログも書けずにいるのですが、ようやく11月になって少し天気は
落ち着いてきたようです。青い空が続くと精神状態にも良いかもしれません。
10月の横浜は雨模様の日が多かったです。
正直、仕事であちこちに行って来ると、休みの日は俄かインドア派になっています。
誰とも会わずに、CD と本とが友達。 「 PLEASE DON'T DISTURB 」。
ビールとワインで過ごしたくなるので、雨が降るお休みも良いのかな ?
10月の終わり、
10月の26日と27日も盛岡に行ってきました。
盛岡はじぶんにとって、大切な街。
分身の様に思っていた親友が最後に暮らしていた街です。
入院してからも、何度か訪れて最後の時間を少しですが一緒に過ごした街。
病院の窓からあいつの肩越しに眺めた岩手山。
あいつの好きな景色でした。
この日も秋晴れの良い天気、開運橋からの岩手山はあの時と同じ。
仕事を済ませ、帰りの「はやぶさ」の時間までには2時間弱くらいありました。
早い時間の新幹線に替えようと思ったら、週末のせいでしょうか、
東京までの指定席は全部売り切れ。来る前に買って来て正解ではありました。そうであればと、
駅から、開運橋を渡って、何度か来た開運橋通りを真っ直ぐに歩いていきます。
北国の空気は澄み切っていて、やはり横浜とは違うな。
色彩がくっきり鮮明、鮮やかに目に飛び噛んできます。
そして、今年も盛岡城跡公園の紅葉たちに会うことができました。
石垣の上の紅葉は、高い青空に向かって真っ赤な炎を燃え上がらせているかのようでした。
10月の下旬なので紅葉には少し早いのかと、開運橋通りを歩きながら思いましたが、
早いなどということはなく、
盛岡の紅葉を味わうにはちょうど良かったのだと思います。
まだ染まりかけの葉っぱもありましたが、
もう落ちているもの、枝に掴ってはいるものの傷んできているものもありましたから、
良い時に来ることができたのだと思います。
夕方に差し掛かる頃、
太陽が斜めになって、色彩を幾分オレンジ系統に変えて行く頃、
黄色、赤、オレンジ等、暖色系のグラデーションのもみじたち、銀杏の葉っぱたちは
この公園全体を燃やしているかのよう。
葉っぱの下のものは、ベンチも、白い犬も、見上げる女性たちも、みんなみんな、
暖かな色彩に変えてしまいます。
爽やかな北国の大気と光と長く伸びた影、
青い空にもみじとイチョウの葉っぱたちはくっきり。
「きれいだな」
空を見上げていました…。
人は、一瞬のじぶんの時間を通り過ぎていってしまいます。
長くても短くても、それがじぶんの一瞬の時間。
残された者は代わりに心の中に開いた傷を持ち、
時だけが、心の傷のエッジを幾分丸くはしてくれて、
少しずつ痛みを和らげてくれるのだと思います。
先に行ったものは、ときが止まってしまうけれど、残されたものたちの心の中にずっと生き続けていて、
ぼくらが思い出すとともに、こうして帰って来てくれるのだなと。
少女が落ち葉を踏みながら笑顔で遊びまわります。
斜めの光に照らされて、あずまやの女性も誰かのことを思い出しているのでしょうか。
みんなそれぞれの時間、一瞬の時間の中。
それを繰り返しているのかもしれないな。
葉っぱたちは散る前の一瞬の輝きを、ぼくたちに見せてくれます。
思い出す心と、
不思議な懐かしさの光と通り過ぎる風の刹那に、
風の中に、ふと、
あいつの声。
声も口癖もみんな覚えています。
ここに来ると、もみじたちの燃えるような色彩の中で、ひさしぶりに話すことができるような、
そんな感じが。
あと何度、ここに来れるか分からないけれど、
一瞬の時間の中で、また色々なことを話しに来るから…。
来年も燃えるようなもみじたちの木の下で、秋の真っ青な空を眺めたいと思いました。
だいぶ丸くなった心のエッジを夕方の光がそっと撫でる頃、
来年の再開を約して。
だいぶ長居をしてしまって、でも、
無事に「はやぶさ」に乗って帰って来ました。
盛岡、やはりじぶんにとって大切な街です。
そんなに時間はなかったけれど、
盛岡の後輩たちと、三陸の美味しい海の幸、
それから、ここに来るとどうしても食べたくなってしまう、
柳家さんの「納豆キムチラーメン」も頂いてきました。
ジャジャメン、冷麺、わんこそばが盛岡の三大麺なのだそうですが、
じぶんは、是非、この納豆キムチをその中に入れたいなと ^^;
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